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​自然保護の聖地:尾瀬の燧ケ岳(ひうちがたけ)

​ <お知らせ>

1.詩集「面白詩」を、Amazonで発行しました。読んでいただけましたら幸いです。

 https://www.amazon.co.jp/dp/B0DHTWRHSK 本

 

2.詩を、「カクヨム」に発表しています。

​  最近、ウクライナ、ロシアの両軍兵士に戦場からの逃亡を勧める反戦詩を書きあげ、「カクヨム」に発表しました。

 https://kakuyomu.jp/works/16818093086161063216/episodes/16818093086161524800

 

3. X(旧ツイッター)を再開しました。

 URL: https://x.com/121morikawa

 

4. カトリックについての記事は、毎月末、ホームページ「カトリックあい」の下記URLに発表しています。

URL: https://catholic-i.net/aafaf/

   コラム | カトリック・あい (catholic-i.net)

カトリック精神を広める

あなたは信じますか?神様から直接人間に呼び掛けることがあることを
アウグスティヌスの場合

 聖アウグスティヌスは、カトリック教会で最も重要な哲学者、神学者の一人で、西暦313年にローマのコンスタンチン大帝によって、カトリックが公認された後の世界で、マニ教をはじめとした異端との戦いや三位一体といったカトリックの教義に重要な役割を果たした聖人であるが、実は、青年の頃は、性欲等の物欲や、マニ教との異端の教えに染まり、カトリックの熱心な信者であった母モニカを困らせていた。はっきり言って罪人であったが、32歳の時に、神からの呼び掛けに答え一大回心を遂げた。その経緯は、著書「告白」に詳しい。どんな経緯で回心を遂げたのであろうか。

 

 32歳の時に、母モニカが、16年連れ添った素性のよろしくない女性を別れさせ良縁を探してきたが、彼女はまだ婚期に達しておらず、2年待たねばならないという。性欲を我慢できない彼は、またしても情婦を探し、性欲を満たしていた。良心の呵責に悩まされた彼は、たまたまアフリカから帰った友人から、荒野に住んで修道生活を送る修道士の話しを聞いて、「無学な者が奮起して天をうばったのに、わたし共は学問がありながら、どこをのたうち回っているのか。血肉の中にではないか」(「聖人たちの生涯」池田敏雄著、中央出版社より引用)。

 

 興奮した彼は、涙を拭おうともせずに外に走り出た。すると、隣家の庭で遊ぶ子供たちが「取って読め、取って読め」と繰り返し歌っていた。これを聞いたアウグスティヌスは、これは「聖書を開いて読め!」との神の命令と悟り、すぐに聖書を探して開いたところ、ローマ人への手紙13章12節が目に止まった。

 「夜は更けて日は近づいた、だから、闇に行われる業(わざ)を捨てて、光の甲(よろい)をつけよう。昼のように謹んで(つつしんで)行動しよう。酒盛り、淫乱、好色、争い、妬み(ねたみ)を行わず、主イエス・キリストを着よ。よこしまな肉の欲を満たすために心を傾けることはするな」

(「旧約・新約聖書」ドンボスコ社)。これを読んで、聖アウグスティヌスは回心を遂げたのである。

カトリック精神を広める

あなたは信じますか?神様から直接人間に呼び掛けることがあることを

マザー・テレサの場合

 ご存知のように、1997年に85歳で亡くなった時点で、123か国に3914人のシスターが所属する修道院「神の愛の宣教者会」(公式ホームページ:https://www.motherteresa.org/)。日本では、1978年以降、東京都山谷、名古屋、別府の3ヶ所に支部修道院が置かれている)を創設し、インドだけではなく、全世界で貧しい人々のために働き、1979年にノーベル平和賞を受賞された故マザー・テレサも、神の呼び掛けを直接聞いたひとりである。聞くところによると、一生独身を通す神父様達も、神の呼び掛けを聞いて、神父様やシスターになると言う。そうでなければ、聖職を長く続けられないであろう。

 

 マザー・テレサは、1910年8月26日ギリシャの北に位置するマケドニア共和国(旧ユーゴスラビア共和国)のスコピエに、建築家の父とイタリア出身の母との間で生まれた。上に姉と兄がおり、両親は、果樹園を経営し、裕福な家だったようだ。父母とも熱心なカトリック教徒で、18歳の時、シスタ―になることを決心したと言う。そのことを、彼女は「神がお決めになったのです」と「マザー・テレサ 愛の軌跡」ナヴィン・チャウラ、三代川律子訳、日本教文社、平成7年発行)の著者、ナヴィン・チャウラ氏に証言している。19歳の時に希望してインドに派遣され、「神からの呼び掛け」を聞いたのは38歳、ロレット修道会がインドのコルカタで開いている女子の学校で、校長兼地理の教師をされていた時である。 

 

 1946年9月10日黙想会に出席のため、コルカタからダージリンに向かう汽車の中で、「貧しい人々とともにいるキリストに尽くしなさい」という神の呼び掛けを直接聞いたというのである。それも一度や二度ではない。

 

 彼女の証言を聞いてみよう。

「内なる呼び掛けの声です。ロレット修道会での生活は幸せでした。しかし、それを捨てて、路上で暮らす貧しい人々のために働くようにという声がはっきりと聞こえたのです。呼び掛けが意味する内容はとても単純なことでした。わたしに修道院を去ることを命じていました。神はわたしにもっと何かを求めている。わたしにもっと貧しくなること、そして神の姿そのものである貧しい人々を愛することを求めていると感じたのです」前著より一部改変して引用。)

 現ロレット修道会を退会し、コルカタのスラムで、貧しい人々のために働く許可をローマの教皇庁から得るのに、2年かかっている。

 

 1948年8月8日38歳の時に、ロレット修道会の修道服をぬぎ、水色にふちどり、肩に十字架をつけた白いサリーを身にまとって活動を始めた。スラムで小さい学校を開いたら、初日に5人の子供が来て、その後は日増しに人数が増えて行ったという。

 

 その後は、以下の4つの家を作って活動している。

・子どもの家(シシュ・ババン)

 親に捨てられた乳幼児の世話する家。

・死を待つ人の家(マザーハウス:病気や飢えで、死にかけている人々を看護する家。

・学校:スラム街で、貧しい子どもたちを集め、勉強を教える。

・平和の村:ハンセン病の人々の世話をし、自立のために手助けをする。

 

 2003年10月19日教皇ヨハネ・パウロ二世により、福者に列され、

 2016年9月4日現教皇フランシスコにより、聖人に列される。

横浜教区信徒 森川海守(ホームページ:https://www.morikawa12.com

映画がカトリックを広める!                       映画「十戒」、「サウンドオブミュージック」「天使にラブソングを」

​ 映画「十戎」と言えば、名優チャールトン・ヘストンがモーゼ役を演じている1956年版が有名である。映画では、旧約聖書の7つの物語、アダムとイブ、ソドムとゴモラ、ノアの箱舟、モーセの出エジプトなどの物語を、聖書の記述通りに正確に再現されている。中でも、モーセの出エジプトの中の、追いかけるエジプト軍の前に出現した、真っ二つに割れた海。そこを歩いて渡りきったイスラエルの民の前に、後を追うエジプト軍がもとに戻った海に巻き込まれて全滅するシーンが殊の外有名である。

 

 ところで、このような物語は単なる作り話なのだろうか。「単なる作り話ではない」とおっしゃっているのが、大学受験で有名な故竹内均(ひとし)氏である。その著、「地球物理学者竹内均の旧約聖書」(同文書院、1988年)では、紀元前1400年頃の地中海で起こったサントリニ島の火山大爆発による島の陥没、カルデラの生成などにより実際に海が真っ二つに割れた事件が、モーセの出エジプトに記されていると主張しておられる。その他の物語も、実際に起こった事件が旧約聖書の物語に反映されていると言う。日本の神話も、単なる物語ではなく、実際に起こった国誕生の事件が神話に反映していると言うのが最早定説になっている。

 

 映画「十戒」を見れば、西洋人が話題にする聖書の物語が一通り理解できるので、教養としての鑑賞も推奨される。

カトリックそのものを表現した作品ではないが、カトリック精神が充満している映画としては、下記を勧めたい。

 

「サウンドオブミュージック」:

 ジュリー・アンドリュース主演の修道女が、見渡す限りの山の草原で歌い上げる、まさに、今でいえばドローンで撮ったような雄大な冒頭のシーンが有名である。実は、毎度祈りの時間に遅れ、院長から修道女に向かないと諭されていたのだ。歌っているところではなかったのだ。こうして7人の子供を持つ大佐一家に家庭教師として赴任する中での、恋あり、逃走劇ありの、実話に基づいた映画である。楽しい映画で、見たことがない人は是非鑑賞を勧めたい。実はこの映画の続編があって、ドイツのナチスから辛うじてアメリカに逃れたトラップ一家がいかにしてアメリカで有名な家庭コーラスになっていくかが演じられている。

 

「天使にラブソングを」:

 ギャングに追われた女性主人公が逃げ先にした修道院の、あまりにも音程の酷いコーラスを改造していく物語で、これは大ヒットし、続編が何編か作られている。

映画がカトリックを広める!   映画「ベン・ハー」を勧めたい

 筆者が二十歳前後の頃、フランシスコ会の修道院があった瀬田教会に所属していたが、その頃はどこも、「青年会」の活動が活発で、神父様を交えた黙想会や、キャンプ等の催しが開催されて、所属する教会内での青年たちの交流が盛んだった。なんと、この時の青年会の面々は、50年経っても年に1回は集まり、懇親会を開いている。この元青年会の方々は、それぞれ、所属する教会内で、会長になったりしてそれぞれの教会内で重鎮となっている。                                 

 

 しかし最近では物故する方もあり、葬式等の関係で、彼ら元青年会の方々の子息が教会に行っているか否かが分かったのだが、元青年会の方々のだれもが、自分の息子・娘たちが日曜日、カトリック教会に行っていないということが分かった。すなわち、元青年会の方々が、自分の息子・娘たちへのカトリック精神を広めることにことごとく失敗しているのだ。中学1年になる我が息子も例外ではなく、日曜日に教会に行くことを嫌がるようになり、ここ最近教会に行っていない。宗教を強制しないことがカトリックの良いところではあるが、このままでは、教会がじり貧となることは必定。そこで、どうやってカトリック精神を広めるかを考えてみた。筆者は、身寄りのない子や育児放棄された子供を預かって教育するサレジオ学園で小学から中学まで都合9年間過ごし、色々なカトリックの教育を受けたが、その中で、カトリック精神豊かな映画を見せられ、感動した経験を持つ。そこで、今回は、学園で見た感動した映画を紹介したい。

 

 映画「ベン・ハー」

 なんと言っても男の中の男と称えられる俳優チャ-ルトン・ヘストンが、エルサレムのユダヤ人豪商の息子、ユダ・ベン・ハーとしてイエス・キリストのご受難に合わせて物語が進行する「ベン・ハー」が最高級である。

映画の大筋は、以下である。

 ベン・ハーは、ローマ軍の百人隊長のメッサラと幼なじみで、ある日、2階からローマ軍の馬の隊列を見学していたが、ふと触れた瓦が隊列の前に落ち、ローマ軍の一人が落馬するという事件が起きた。故意の事故ではないのに、幼なじみのメッサラが彼を助けず、家族全員が捕えられ、母と妹は牢屋に、ベン・ハーはガレー船の奴隷として、鎖につながれ、オールをこぐ奴隷になった。その戦いの中で、ベン・ハーが乗った船が火災に包まれ、船が沈没するという中で、ベン・ハーは、窮地に陥ったローマ軍の将軍を救ったことで、将軍の養子となり、奴隷から解放されることになった。そんな中、たまたま、戦車レースがあり、幼なじみのメッセラと対戦することになった。この2頭の馬を操って競争する戦車レースが、CGを使う今と違い、本物を使っており、手に汗握る見応えのあるシーンとなっている。戦いの後、ベン・ハーは、大けがを負った幼なじみのメッサラに会い、牢屋に入れられた母と妹が、重い皮膚病となって、人里離れたところに暮らしているのを聞き出した。密かに母と妹を連れ出したところ、途中で、キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘に行く受難に遭遇する。そうして、キリストが十字架上で亡くなる時、重い皮膚病を患った母と妹の体がどうなるのか。                                        

 

 最後のシーンは感動ものであった。この映画は、ユダヤ人とローマ人の友情と争い、それがキリストのご受難と重なり、なかなか見事なカトリック精神を広める娯楽映画となっている。作者は神様の助けを得て、この物語を着想したと、証言している。

​あなたは聖変化を信じますか?

野外ミサが好きだ!

 一般の人が驚くのは、ミサ聖祭が行われている最中に、パン(白くて丸いホスチア)とぶどう酒(赤ワイン)が、キリストの血と肉に変化することではないだろうか。これを聖変化と呼んでいる。もちろん、当然だが、実際にはそのような変化が起る訳ではないが、信者は、パンとぶどう酒が、キリストが十字架上で流された血と肉になったと精神的に考え、それを頂くことで、キリストの十字架上での救いの出来事に思いをはせ、キリストと一体化するということを味わう。毎日曜日、カトリック教会ではミサ聖祭が行われ、ホスチアを頂くのはこのような理由であろう。このような儀式は、カトリック以外のプロテスタントでは行われていない。カトリック独自の儀式と言えよう。                                                

 

 なお、現在は、ミサの最中に頂くのはホスチアだけになっている。ミサに参加する人の数が少ない場合は、赤ワインが供される場合がある。

 聖パウロ女子修道会のHPによれば、ホスチアとは、「聖別用に用いられる円形の薄いパンのことで、「聖体」となるパンのことを言います。その語源は、ラテン語の“hostia”「いけにえの供え物」です。水と小麦粉だけで作られ、イースト菌が入っていない「種なしパン」で、聖別されてキリストの御体、つまりいけにえとなります。」と説明されている。一昔前までは、キリストが最後の晩餐の時、パンを割いて弟子達に分け与えたように、実際のパンを供していたのだが、それでは大量のパンが必要となるため、聖ドンボスコが現在の白くて丸いホスチアに変えたと聞いている。

 

 ミサで思い出すのは、筆者が子供の頃、よく野外ミサが行われていたことだ。またよく道路で行列を作って、祈ったり、聖歌を歌っていたものだった。当時は、日蓮宗の一団であろうか、太鼓を叩きながら南無妙法蓮華経と唱える僧たちの一団もよくみかけたものだ。

 野外ミサで特に思い出すのは、筆者が中学生の時に、千葉県の房総半島先端にある館山の臨海学校の一環で、離れ小島に渡って、キャンプを張った時に行われた野外ミサである。草を刈り、薮に分け入って、土の上にテーブルが置かれ、その上に、ミサに使うろうそく等が並べられ、神父様が東京から持参した司祭服に身を包み、30人程の生徒の眼前でミサを捧げたのだが、青空の下、まるで神様が今まさにここにおられるという雰囲気になった。これだから、野外ミサが好きなのだ。

また、2019年11月、現フランシスコ教皇が1981年のヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶり2度目の来日となった際に、長崎県営野球場にて約3万人が参列した野外ミサが、今も語り草になっている。当日、大雨が降っていたのが、ミサが始まった時には、うそのように晴れ渡り、青空の下、ミサが執り行われたのだ。参列した人は、奇跡のようだったと、今も興奮気味に語っている。

カトリックの真実(聖人は語る)

聖人の秘跡とは

  カトリックでいうところの聖人とは何でしょうか。聖人とは、一言で言えば、亡くなった後、煉獄を経ずに天国に直行して神の御前に立てる方であると、今現在生きている地上にいる人が証明できる人である。カトリックでは、死後の世界を天国と地獄の他に煉獄があると信仰されている。地獄に行った人は永遠に地獄にあるが、煉獄は、死後すぐに天国に行けない人たちが、生前の罪の贖い(あがない)をするための場所で、幽霊はこの時のものである。手にイエス・キリストと同じ十字架の傷を受けた聖人のピオ神父のもとには、度々、煉獄の霊魂達が訪れ、天国に行けるよう祈って欲しいと訴えたという話が、まことしやかに伝えられている。これこそがまさに幽霊。ピオ神父は度々、暗闇の中、「そこにいるのは誰だ!」と叫んでいたというが、考えてみたらこわーい話ではある。(参考:「煉獄の霊魂は叫ぶ!ピオ神父、万歳」(アレッシオ・パレンテ神父著、甲斐睦興訳、近代文藝社発行

 

  この本の中の逸話を紹介しよう。時は第二次世界大戦が激しいころ。イタリアのカプチン会修道院での出来事。或る晩夕食後、修道院の門が閉ざされて長時間経ったとき、階下の入り口の廊下から、「ピオ神父万歳!(ビバ、パードレ、ピオ)」と数人が叫ぶ声が、修道士達に聞こえた。これは、煉獄の霊魂がピオ神父の祈りのお陰で、天国に行くことが決まり、ピオ神父に感謝の意を示すために修道院に来て叫んだものだが、そんなこと、知るはずもない、修道院の総長が、部下のジェラルド修道士を呼び出し、今しがた玄関に入ってきた人達に、もう遅いから修道院の外に出なさいというように命令した。修道士は、言われるまま、階下に行って門を見ると、正面のドアは2本の鉄の棒でしっかり閉じられていた。彼はこのことを総長に報告した。翌朝、総長は、ピオ神父に、この常軌を逸(いっ)した出来事の説明を求めた。ピオ神父は説明した。ピオ神父万歳と叫んだのは、神父の祈りを感謝しに来た戦死した兵士達であると。   

 もう一つ紹介したい。これはイタリアの聖ドン・ボスコというサレジオ会修道院の創設者が若いころ、神学校で仲の良い友人から、「なあ、ボスコ、本当に天国ってあるのかい?約束しようじゃないか。どちらかが先に死んだ方が、天国に行ったら、生きている方に報告しに来るというのはどうだ。」という提案を受けた。暫くして、友人は病に伏し、病床でボスコに言った。「前に約束したことを必ず実行する」と。友人が亡くなった翌晩、20人の神学生達のベッドが並ぶ部屋に寝ていたボスコは、夜中、凄まじい音を聞いた。多数の馬に引かれた馬車が寝室にやってきたという程の音で、他の神学生たちも同じ音を聞いている。凄まじい音に伴われ、亡くなった友人がボスコのベットの脇に立ち、「ボスコ、私は救われた」と大声で叫んで、去っていった。ボスコはあまりの恐怖に病気になってしまった程である。ボスコは、以来このような約束を交わすことを金輪際止めたという。20人の神学生が同じ音を聞いているから、この話も信憑性が高い。「完訳ドン・ボスコ伝」テレジオ・ボスコ著、ドン・ボスコ社発行より。この本は面白いので、読まれることを推薦する。)

 

 なくなった聖人が、いま天国にいるということを、生きている人がどうやって証明するか?

 カトリックでは、委員会を作って生前の友人や知り合いに聞き取り調査をする、手紙や著書を読み解くなどして、徹底的に調べる。少しでも疑いがあれば、疑いが晴れるまでは、調査を止める。もし神がその人を聖人の位にあげたければ、神ご自身が人間社会に働きかけるだろうとカトリックは考える。調査には、墓をあばくことも入っている。昔は土葬だったため、土の中に葬られている棺を取り出し、中の遺体を調べることまでする。墓をあばく理由は2つある。一つは、もしも墓の中で生き返った場合に(もちろん、めったにはないことだが、実際に生き返った人がいたらしい)、絶望して死んでしまうかもしれない。それでは聖人になれない。もう一つは、体が腐敗しない、ミイラ化の処置をしていないのに、体が腐らないという奇跡を起こす聖人がいるのである。現在、ミイラ化されているご遺体は、例えば、北朝鮮の初代最高指導者の金日成(キム・イルソン)や、ロシアのレーニン、特殊な防腐処理(エンバーミング)を施され、モスクワ都心の「赤の広場」のレーニン廟に安置されている。これらの方々は、防腐処理が施されている。しかし、読者が信じるか否かは分からないが、肉体が腐らない聖人たちがいる。例えば、ルルドで有名な聖ベルナデッタである。彼女は35歳で亡くなったが、聖母マリアのご出現を受けた方というだけではなく、修道院内でも聖女の誉れが高く、亡くなってから30年後、聖人の位をあげるのにふさわしいかどうかの調査の一環で、衆人環視の中、墓の中の棺の蓋を開けてみたら、生前と変らない肌も弾力のある聖女が現れ出でた。まさにこれは神の恵み。聖女のご遺体は今でも一般の人でも直接、見ることができる(フランスのヌベール市の、サン・ジルダール修道院の聖堂に、安置されている

聖ベルナデッタ
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