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尾瀬のミズバショー
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ベストセラーを読む 日本史サイエンス 

本稿での約束事は、これから読む人のために、できるだけネタばれをしないよう心掛けたいということである。

「日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る」(ブルーバックス) 新書 – 2020/9/17播田 安弘(はりたやすひろ著)
本では第1章から第3章まで、通説に科学的な手法で反論を加えている。

第1章 蒙古軍はなぜ一夜で撤退したのか?
今から750年ほど前、中国から「てつはう」という新兵器、つまり大砲を携え、蒙古軍が大挙して日本に攻めてきた。教科書にも書かれている1274年の文永の役と1281年の弘安の役である。通説は、2度とも神風、つまり台風が吹いて大量の船が沈没、2度とも蒙古軍は這う這うの体(ほうほうのてい)で退却して日本は難局に打ち勝てたというもの。この経験が第二次世界大戦で不利に働く。日本は神の国、また神が助けてくれると考えるようになり、絶対的に不利な局面でも敗北を認めず、神風特攻隊という、現在の中東で行われているような自爆攻撃までも編み出してしまう原因となった歴史事実である。実際はどうだったのか。鎌倉幕府に自身の戦功を証明するために、絵師に自身がどのようにして深手を負ったかを書かせた絵巻物「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」、教科書にも載っている鎌倉武士、竹崎季長(すえなが)の戦い方も検証しながら、実は蒙古軍は、神風が吹いて船が転覆して敗れたのではないということを、科学的な手法で新たな説を展開してみせた。この本を読むと、日本の技術は昔から捨てたものではないと分かって溜飲を下げること請け合いである。歴史学者はどうこれに答えるか?

第2章 秀吉の大返しはなぜ成功したのか  
本能寺の変で、親分、織田信長の死を知った豊臣秀吉が、親分を殺した明智光秀と戦うために、その時戦っていた毛利方と急遽和睦し、取って返して、2万人の大軍を率いて、中国地方、今の広島から220km離れた山崎(京都府)まで、8日間で走り抜いたというのが、「中国大返し」の通説である。筆者はこれに嚙みついた。本当にそんな短期間で2万人にも上る軍団が歩き通せるのか。そもそも2万人分の食料はどうしたのか、どこに2万人が泊まるのか。なんと2万人が落とした屎尿(しにょう)、うんちにも言及して、科学的な手法で新たな説を展開してみせた。本説にも脱帽である。歴史学者はどうこれに答えるか。

第3章 戦艦大和は無用の長物だったのか  
真珠湾攻撃で火ぶたを切った太平洋戦争。その勃発直後に進水式を上げた帝国海軍が誇る戦艦大和。しかし、ほとんど戦火を交えることなく、わずか3年余りで、鹿児島県坊ノ岬沖で、無数の米軍飛行機の爆撃を受けて沈没。当時世界最強と言われた戦艦大和。ピラミッド、万里の長城とともに、世界三大無用の長物と揶揄されていると言う。しかし、三井造船で船の設計を長く担当していた著者は、反論する。本当にそうか?と。  

 本書は、歴史の通説に船の設計士という理系の目で、科学的な手法を用いて異論を唱えた画期的な書である。まさに、日本史サイエンスと言えよう。今後は、本書を読み終えた者以外は、本稿で取り上げた歴史事実に言及することはできないだろうと、申し述べたい。

 

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