筆者が二十歳前後の頃、フランシスコ会の修道院があった瀬田教会に所属していたが、その頃はどこも、「青年会」の活動が活発で、神父様を交えた黙想会や、キャンプ等の催しが開催されて、所属する教会内での青年たちの交流が盛んだった。なんと、この時の青年会の面々は、50年経っても年に1回は集まり、懇親会を開いている。この元青年会の方々は、それぞれ、所属する教会内で、会長になったりしてそれぞれの教会内で重鎮となっている。しかし最近では物故する方もあり、葬式等の関係で、彼ら元青年会の方々の子息が教会に行っているか否かが分かったのだが、元青年会の方々のだれもが、自分の息子・娘たちが日曜日、カトリック教会に行っていないということが分かった。すなわち、元青年会の方々が、自分の息子・娘たちへのカトリック精神を広めることにことごとく失敗しているのだ。中学1年になる我が息子も例外ではなく、日曜日に教会に行くことを嫌がるようになり、ここ最近教会に行っていない。宗教を強制しないことがカトリックの良いところではあるが、このままでは、教会がじり貧となることは必定。そこで、どうやってカトリック精神を広めるかを考えてみた。筆者は、身寄りのない子や育児放棄された子供を預かって教育するサレジオ学園で小学から中学まで都合9年間過ごし、色々なカトリックの教育を受けたが、その中で、カトリック精神豊かな映画を見せられ、感動した経験を持つ。そこで、今回は、学園で見た感動した映画を紹介したい。
ベン・ハー
なんと言っても男の中の男と称えられる俳優チャ-ルトン・ヘストンが、エルサレムのユダヤ人豪商の息子、ユダ・ベン・ハーとしてイエス・キリストのご受難に合わせて物語が進行する「ベン・ハー」が最高級である。
映画の大筋は、以下である。
ベン・ハーは、ローマ軍の百人隊長のメッサラと幼なじみで、ある日、2階からローマ軍の馬の隊列を見学していたが、ふと触れた瓦が隊列の前に落ち、ローマ軍の一人が落馬するという事件が起きた。故意の事故ではないのに、幼なじみのメッサラが彼を助けず、家族全員が捕えられ、母と妹は牢屋に、ベン・ハーはガレー船の奴隷として、鎖につながれ、オールをこぐ奴隷になった。その戦いの中で、ベン・ハーが乗った船が火災に包まれ、船が沈没するという中で、ベン・ハーは、窮地に陥ったローマ軍の将軍を救ったことで、将軍の養子となり、奴隷から解放されることになった。そんな中、たまたま、戦車レースがあり、幼なじみのメッセラと対戦することになった。この2頭の馬を操って競争する戦車レースが、CGを使う今と違い、本物を使っており、手に汗握る見応えのあるシーンとなっている。戦いの後、ベン・ハーは、大けがを負った幼なじみのメッサラに会い、牢屋に入れられた母と妹が、重い皮膚病となって、人里離れたところに暮らしているのを聞き出した。密かに母と妹を連れ出したところ、途中で、キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘に行く受難に遭遇する。そうして、キリストが十字架上で亡くなる時、重い皮膚病を患った母と妹の体がどうなるのか。最後のシーンは感動ものであった。この映画は、ユダヤ人とローマ人の友情と争い、それがキリストのご受難と重なり、なかなか見事なカトリック精神を広める娯楽映画となっている。作者は神様の助けを得て、この物語を着想したと、証言している。
横浜教区信徒 森川海守(ホームページ:https://www.morikawa12.com)
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