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執筆者の写真森川海守

森川海守のメルマガ

更新日:1月3日

第28回メルマガ 人生に一度はシニア海外ボランティアになりたいものだ!

  筆者が初めて東京から地方の長崎に住んだのは今から40年前、まだ30代前半の頃で、それでも随分とカルチャーショックを受けたものだ。初めて飛行機に乗ったのもこの頃で、あの図体のでかい機械が空に浮かぶのに驚いたものである。そうして、海外に初めて出たのは40代後半になってからである。リストラに会って、一念発起、レジ袋の有料化を研究していた筆者は、ヨーロッパ7ヶ国を20日間で周遊する取材旅行を企てた。その後、食べて行くために、シニア海外ボランティアを目指した。読者の皆さんには、チャンスがあれば、ぜひチャレンジして欲しいと願う。

 まず待遇が良い。現職を維持したままシニア海外ボランティアになると、現在の給料が保証される上に、現地生活費も出るため、給料をそのまま貯金できる。退職して参加した場合も、2年間の任期終了後、100万円以上の退職金がもらえる。現地では、大使館の催すパーティーに招かれ、食べ放題、飲み放題。美味しい日本食等を味わえるし、名士になった気分を味わえる。通勤しても、毎日が観光しているようなもの、見るものすべてが新規に見るものなので、わくわく感がある。土日は休みなので、旅行を楽しめる。筆者の場合は2度ともタイで、現地在住の日本人によるツアーに参加して、ホタルを見たり、原生林の中のホテルに泊まって、深遠な声の猿の遠吠えを聞いたり、隣国の中国の昆明の石林や麗江を観光したりできた。日本への最大20日間の一時帰国制度もあって、往復の航空券は無料で帰国することができた。リサイクルに関するアドバイザーを務めたので、四国を取材旅行したり、温泉にも入ることができた。

 筆者の場合、タイのノンタブリ市役所に赴任したら、シニア海外ボランティア専用の部屋とパソコンが準備されていた。JICAからは、活動費が出て、かなり自由に予算を伴った仕事をすることができた。例えば、ごみを分別するためのごみ箱の購入費が出たり、紙のリサイクル専門家を呼び寄せて、講演会を開いたりすることができた。翻訳費も通訳費も出るので、実に100近い提案を市役所の責任者に行い、半数近くが実行に移され、ごみの組成調査などを実施することができた。先週、実に25年ぶりに廃棄物資源循環学会誌に論文を投稿することができたが、独自のデータとして投稿できたのも、この時に得たデータが役立っている。

JICA海外協力隊:募集情報 | JICA海外協力隊 

・青年海外協力隊:20~39歳まで。70日間の語学等の研修があるため、ほとんどの人が現地語を話せるようになる。

また、2ヶ月間寝食を共にするため、恋愛感情が生まれるケースが多い。研修中も手当が出る。

・シニア海外ボランティア:40~69歳まで。32日間の語学等の国内研修があるが、現地語を自在に操れるまでには至らない。英語等との併用で仕事をすることができる。語学が苦手でも訓練があるため、一度は応募したいものだ。青年海外協力隊との合同訓練のため、こちらも恋愛感情が生まれるケースが多い。但し、現地ではただ一人の日本人となるため、単身赴任はきつい。夫婦で行けば、同じ語学訓練を受けられ、シニア海外ボランティアではない方は、専業主婦(夫)となるため(現地では仕事をしてはいけないことになっている。ボランティアは許される)、現地の日本人と交流したりして、自由に生活を楽しめる。うちのかみさんは現地でさらに語学学校に通い、タイ語がペラペラになり、日本語教師のボランティアを務めた。

    

 

第27回メルマガ 教師は確かにまとまった夏休みがある!

 大学卒業後、損害保険会社の営業社員となり、月に一度は損害保険の代理店を新規開拓するまでになったが、3年で保険会社に見切りをつけた。保険の講師を務めたことで、教師が向いていると思い、土・日に教師の免状を取るための勉強に励み、晴れて実習の段階で、営業社員に別れを告げ、社会科教師に転職した。大学は卒業後3年経った後も職業を紹介していただき、観光地の女子高に赴任した。

 6年間の教師時代は、いろんな経験をした。睡眠薬を大量に飲み込んで自殺を図った教師がいたり、なんと学校の4階のビルから飛び降りて自殺した女子高生もいた。前日、担任と面談をした後の結果で、さぞ担任の先生も辛かろう。筆者も、地元ミニコミ誌に女子学生との醜聞を書かれ、「このミニコミ誌に掲載された先生は誰ですか?」と職員会議で校長先生に尋ねられた経験もある。会議後、校長先生には正直に事の起こりを申し上げた。実は、まだ30代の筆者は女子高では人気者だった。そんな中で、一人の女子学生が近づいてきて、相談に乗って欲しいという。そこで、喫茶店で話しを聞いたのがまずかった。学校内で話を聞けばいい所、お店で会ったものだから、女子学生は教室で自慢する。それが後で、醜聞の原因となった。相談事は、母親に再婚した父親が、母親がいないときに女子学生に迫ってくるという深刻な相談だった。この相談は、担任の先生に引き継いでもらったが、これが1年後に醜聞に化けることになったのだ。

 教師を目指した理由は、夏休みに憧れたからである。休みがあれば、遊べるし、読書も楽しめるし、旅行にも行ける。しかし、実際の休みは思っていた程あるわけではなかった。受験に携わる教師は、夏休み講習に明け暮れて休みどころではない。筆者の場合は、クラブの監督をしていて、午前中は練習がある。しかし、授業がない分、自主勉強の時間を持てる。筆者の場合、元々気になっていたことを調べる時間ができたことを喜んだ。その一つは、ごみはどのようにして処理されるのかということが前々から気になっていた。そこで、まず関連する本を読み、読んだ後は、実際の現場を見学し、関係者に取材するという段取りを取った。夏休みがあるからこそ取材ができる。こうして調べたことを学校の論文誌、紀要に載せた。当時はダイオキシンの危険性がまだ広く認知されておらず、特に学校の焼却炉の危険性に警鐘をならす論文となったため、他学校の先生にも評判が良かった。当時、学校では、小型焼却炉の近くに一人の教師を配置し、生徒が持ってくる教室で出たごみを、学校の敷地内にある焼却炉で燃やしていた。どんどん燃やそうと、炉内をかき回すものだから、灰が空に飛び散る。これだけでも近所迷惑だが、それ以上に、生徒が持ち込むごみと言えばプラスチックが多く、当然ダイオキシンが出る。そのことを記述したのだが、実際、その後学校の焼却炉からもダイオキシンが出ると判明し、国の政策で使わないように指導されることになった。筆者の論考は時代の最先端をいっていたと言えよう。


 さて、教師の最大の弱点は、授業準備が勤務時間内に終わらず、自宅持ち込みで準備をしなくてはいけないことである。最大の苦痛は、日曜の夜であった。授業準備が間に合わず、ふて寝をして休みを取ったことが年に1、2回はあった。クラブの面倒を見るのもボランティア扱いで、クラブ手当は1年間で1万円しか出ない。しかも、1年の間、土・日がすべてなくなる。唯一の楽しみは、試験中はクラブがないから、釣りに行けたことだ。釣りをしたことで、海岸に流れ着くごみ、特にレジ袋の漂着が環境を破壊していることに気が付き、大学院に入って、レジ袋の有料化を唱える論文を書くきっかけになった。

 教職は人に勧められるだろうか。否、向いていない人はいる。特に指導する立場では、生徒を30人、40人と対峙しなくてはいけない。のんびりしていると、生徒になめられ、授業も騒がれて教えるどころではなくなる。生徒指導では、スカートの丈を測ったり、街中をカバンを持って歩いていないか(カバンを自宅に置いてから町を歩きなさいとの校則がある)を指導したり、カップルで歩いていないか(男女交際禁止の校則がある)を指導する。

 社会科は準備することが多いから大変だが、数学や体育、音楽、英語等、ベテランであれば授業準備はさほど必要ないかもしれない。子供が好きな人にはいいのかも。短いとは言え、夏休みがあるのもいい。欧米ではあるのだから、日本でも取り入れて欲しいものだ。まとまった、1週間や2週間あれば、スキューバダイビングの免許を取りに沖縄に行ったり、タイに行ったり、スイスでスキーを楽しんだりできるのだから。




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