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森川海守のメルマガ27回

執筆者の写真: 森川海守森川海守

第27回メルマガ(12月12日配信)教師は確かにまとまった夏休みがある!

 大学卒業後、損害保険会社の営業社員となり、月に一度は損害保険の代理店を新規開拓するまでになったが、3年で保険会社に見切りをつけた。保険の講師を務めたことで、教師が向いていると思い、土・日に教師の免状を取るための勉強に励み、晴れて実習の段階で、営業社員に別れを告げ、社会科教師に転職した。大学は卒業後3年経った後も職業を紹介していただき、観光地の女子高に赴任した。

 6年間の教師時代は、いろんな経験をした。睡眠薬を大量に飲み込んで自殺を図った教師がいたり、なんと学校の4階のビルから飛び降りて自殺した女子高生もいた。前日、担任と面談をした後の結果で、さぞ担任の先生も辛かろう。筆者も、地元ミニコミ誌に女子学生との醜聞を書かれ、「このミニコミ誌に掲載された先生は誰ですか?」と職員会議で校長先生に尋ねられた経験もある。会議後、校長先生には正直に事の起こりを申し上げた。実は、まだ30代の筆者は女子高では人気者だった。そんな中で、一人の女子学生が近づいてきて、相談に乗って欲しいという。そこで、喫茶店で話しを聞いたのがまずかった。学校内で話を聞けばいい所、お店で会ったものだから、女子学生は教室で自慢する。それが後で、醜聞の原因となった。相談事は、母親に再婚した父親が、母親がいないときに女子学生に迫ってくるという深刻な相談だった。この相談は、担任の先生に引き継いでもらったが、これが1年後に醜聞に化けることになったのだ。

 教師を目指した理由は、夏休みに憧れたからである。休みがあれば、遊べるし、読書も楽しめるし、旅行にも行ける。しかし、実際の休みは思っていた程あるわけではなかった。受験に携わる教師は、夏休み講習に明け暮れて休みどころではない。筆者の場合は、クラブの監督をしていて、午前中は練習がある。しかし、授業がない分、自主勉強の時間を持てる。筆者の場合、元々気になっていたことを調べる時間ができたことを喜んだ。その一つは、ごみはどのようにして処理されるのかということが前々から気になっていた。そこで、まず関連する本を読み、読んだ後は、実際の現場を見学し、関係者に取材するという段取りを取った。夏休みがあるからこそ取材ができる。こうして調べたことを学校の論文誌、紀要に載せた。当時はダイオキシンの危険性がまだ広く認知されておらず、特に学校の焼却炉の危険性に警鐘をならす論文となったため、他学校の先生にも評判が良かった。当時、学校では、小型焼却炉の近くに一人の教師を配置し、生徒が持ってくる教室で出たごみを、学校の敷地内にある焼却炉で燃やしていた。どんどん燃やそうと、炉内をかき回すものだから、灰が空に飛び散る。これだけでも近所迷惑だが、それ以上に、生徒が持ち込むごみと言えばプラスチックが多く、当然ダイオキシンが出る。そのことを記述したのだが、実際、その後学校の焼却炉からもダイオキシンが出ると判明し、国の政策で使わないように指導されることになった。筆者の論考は時代の最先端をいっていたと言えよう。


 さて、教師の最大の弱点は、授業準備が勤務時間内に終わらず、自宅持ち込みで準備をしなくてはいけないことである。最大の苦痛は、日曜の夜であった。授業準備が間に合わず、ふて寝をして休みを取ったことが年に1、2回はあった。クラブの面倒を見るのもボランティア扱いで、クラブ手当は1年間で1万円しか出ない。しかも、1年の間、土・日がすべてなくなる。唯一の楽しみは、試験中はクラブがないから、釣りに行けたことだ。釣りをしたことで、海岸に流れ着くごみ、特にレジ袋の漂着が環境を破壊していることに気が付き、大学院に入って、レジ袋の有料化を唱える論文を書くきっかけになった。

 教職は人に勧められるだろうか。否、向いていない人はいる。特に指導する立場では、生徒を30人、40人と対峙しなくてはいけない。のんびりしていると、生徒になめられ、授業も騒がれて教えるどころではなくなる。生徒指導では、スカートの丈を測ったり、街中をカバンを持って歩いていないか(カバンを自宅に置いてから町を歩きなさいとの校則がある)を指導したり、カップルで歩いていないか(男女交際禁止の校則がある)を指導する。

 社会科は準備することが多いから大変だが、数学や体育、音楽、英語等、ベテランであれば授業準備はさほど必要ないかもしれない。子供が好きな人にはいいのかも。短いとは言え、夏休みがあるのもいい。欧米ではあるのだから、日本でも取り入れて欲しいものだ。まとまった、1週間や2週間あれば、スキューバダイビングの免許を取りに沖縄に行ったり、タイに行ったり、スイスでスキーを楽しんだりできるのだから。



第26回メルマガ(11月28日配信)情報リテラシーとは何か。筆者の経験から

筆者は縁あって天涯孤独で、家族はなく、孤児院で育てられた。父親は、幼い筆者を置いて出奔してしまった。こうして高校は夜、定時制で勉強し、昼間は色んな仕事に就いた。最初は、15歳、孤児院からいきなり社会に出て、プレス機械で自動社部品等を作る会社で働いた。しかし、回りを見ると先輩たちのほとんどは、人差し指の先がない人が多かった。誤って指を押しつぶしてしまったのだ。そこで、当時は、ピンセットを使って部品をプレスする場所に置き、その後、ボタンを押して上から重い型のついたハンマーが降りてくるという作業方法に改められ、直接指を使わないようにと指導されてはいた。しかし、昼間は少し眠くなり、いつか指を押しつぶすのではないかと危険を感じて1年で職を辞し、定時制の仲間が勤める精密機械会社に転職した。ここでは、温度計等の精密機械を作っていて、筆者は銭湯で使われている温度計作りに携わった。当時の社長の息子は大学のワンゲル部に入っていた人で、筋肉が隆々としていて、社内で歩くときは、どしどしと歩くような感じの人であった。筆者が大学を目指していることを知ると、数学を教えてくれて、夜9時、定時制を終えた後、当時、結婚したばかりの社長の息子の家を訪れたものである。しかし、もっと大学入試に備えて勉強する時間が欲しいと考え、次は牛乳配達に転職した。ほとんどの職員が車を運転して牛乳を運んで配達しているところ、筆者は自転車に牛乳を運んで配達した。重くて自転車が倒れることが多く、その度に、牛乳瓶を壊した。いま考えると、冷や冷やものであった。当時の社長はよく雇ってくれたものだ。定時制高校を卒業した後は、昼間は予備校に通い、夕方は清掃、昼間の空いている時間はガラス拭きに転じた。ガラス拭きの職も危険極まりなかった。勤めたのは半年ばかりであったが、たったの6か月で、二人の人がビルから落ちて大怪我をした。一人はなんと社長なのだ。ビルから落ちて、男性の機能を失う大怪我であった。危ないのは、窓から外に身を乗り出す時である。外に全体の体をあずけて、ブランコのようにガラスを拭く作業は、案外安全なのだ。ロープ二本を頼りに外に身を乗り出す。1本は親綱、1本は安全のためで、これは大きなブランコに乗っている感じで危険を感じなかった。結局、これで3浪してもまだ合格せず、新聞配達に転じてやっと通信制の大学から昼間の大学への転入に成功した。新聞配達は、朝は4時半に起きて自転車に乗って配達し、夕方も夕刊を配り、夜はちらしを新聞に入れる作業をする。月末は集金の作業があり、なかなか会えない人には、土日もなく、家々を訪ねて集金をする。しかし、週に1度は何も配達しない日があり、その時は池袋のオールナイトの5本立て映画をよく見に行ったものである。当時は若大将シリーズの映画が2回目のブームで、夕方満員の映画館では、幕が開いて、加山雄三の名前が字幕に出てくるたび、ぴーぴーと口笛やら拍手があちこちから起きた。ラブシーンもそうである。見ている人同士に共感があり、熱気があった。こんな映画の見方は前代未聞であろう。結局、大学に合格できたのは、新聞配達が一番良かった。配達が終われば、図書館に行って勉強するという毎日の習慣が合格に導いた。しかも、朝・夕食の賄いがあり、寝るところがあり、安いなりに給料も出て、大学入学費用も準備できた。親からの援助がない苦学生には新聞配達を勧めたい。

 大学卒業後は外資系の損害保険会社に勤めた。日本の大企業は、親もなく、浪人も長い苦学生には冷たかった。しかし、いま考えると、日本に進入したばかりの店によく新入社員を配置したものだ。恐ろしいことに、朝出勤して仕事がないのだ。地図を開き、車で行ける所を探し、保険を扱ってくれそうな旅行代理店、中古車販売店に、いわゆる飛び込みという営業をする。すなわち約束なく訪問し、社長に会って、外資の保険を扱ってくれるように頼むのだ。話芸があるわけでもなく、話す内容もない。しかし、良くしたもので、何度か訪問すると、相手も親身になってくれる。ある時、たまたま店を新規に開店する所を見つけ、足しげく通った。たまたま社長がおられた。店に入ると、中古車を店に届けた後、足がない社長が駅まで送ってくれと頼まれ、駅まで乗せてあげたら、「代理店契約をしてもいいぞ」と言ってくれて、そのままわが社の保険会社の店までお連れして、契約して頂いた。そういうお客もいた。熱心さが相手に通じたものであろう。結局この仕事も、大方、店の回りの営業をし尽くして回る所がなくなり、保険料率の危うさも経験し、何より知り合いに保険を頼むという誰に対しても頭を下げる営業というものに向いていないと感じ、3年で教師の道に転じた。保険の営業をして、代理店になってくれた人に保険の資格を取ってもらう必要があり、保険の講師を勤めたが、そのような経験から、教師が向いているのではないかと思ったのだ。その後、社会科教師を経て、さらに大学院に入り、修了後は環境問題の調査研究のコンサルタント、さらにはシニア海外ボランティアになって4年間のタイ在住を経験することになるが、その話はまたの機会に譲りたい。


 さて、身寄りのない筆者が、3食整った孤児院から、数えで15歳、高校1年でいきなり3畳一間の安アパートに住み、定時制に通うことになったが、これは恐らく、高度経済成長時代、働き手が喉から手が欲しいプレス工業の社長が孤児院に売り込みに行って、アパートと、住む所を手配しますからといって、筆者を引き取っていったものだろう。寝具も揃えてくれたが、代金は給料からの前払い。今思うに、孤児院は、中で生活している児童だけではなく、出ていく児童にも目を向けて欲しいものだ。いきなり、指が切断される危険な職業を紹介しなくても良いのではないか。定時制高校でも、進路指導は一度も受けたことがない。定時制高校生がいきなり、5教科受験の国立大学を目指したのだ。今考えると、無謀というものだった。大学に入って、結局筆者は身寄りがないということで、授業料免除の恩恵を受けた。返す必要のない育英制度があることも知った。そういうことが初めから分かっていたら、長い浪人時代を経験する必要がなかっただろう。アルバイトで働きながら予備校に通ったが、私立を目指していたら、1浪で済んだだろう。大事なことは、今の学力では、国立大学進学は無理であり、しかし社会にはこんな育英制度等の資金援助を受けられる制度があり、私立大学でも資金を得て大学に入学できるという情報を教えてあげる進路指導なり、カウンセリングが必要だったのだ。いわゆる情報を目的に応じて活用できる情報リテラシーを持った人の関与が必要だったのだ。


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第25回メルマガ(11月14日配信) 生活保護を受けている人に健康保険証がないのはなぜ?

 いま82歳の姉に出会ったのは、今から3年前である。実は、筆者の家族は、60年前、親の離婚をきっかけに、筆者は父親が、姉2人は母親が引き取り、てんでんばらばらになってしまっていた。その上、父親は筆者が7歳の時に、筆者を置いて、どこかに行ってしまい、姉の方は、母親が早くして亡くなり苦労したようだ。長姉は2回結婚し、夫の家庭内暴力で2回とも離婚している。子供は一人いるが、夫から子供に会うなと言われ、今所在さえ知らない。筆者は姉の所在を知らずに孤児院で育ち、苦学の上、大学院まで進学、良き人を迎えて、家庭を築いていたそんな3年前のある日、奈良市からの手紙が届いた。一体、どんな用で手紙が届いたものかと不審に思いながらも、封筒を開けたら、長姉が生活保護を請求している。少しでもいいから援助を頼めるかという内容。いま問題になっている、生活保護請求者の血のつながりのある人が費用負担を求められ、それをきっかけに疎遠だった家族の間に、プライバシーが漏れてしまう事態が起こっている。費用負担請求制度を止めようという運動が起こっているのはもっともなことだ。血のつながりがあるというだけで、会ったこともない、世話を受けたこともない姉の生活保護費の一部だけでも払えというのは、無茶ではないかと思う。

 実は、今から20年前、姉を探しに奈良市を訪れている。その時は、市の担当者も姉の所在が分からなかった。しかし、会ったこともない姉の弟である筆者を、奈良市はよく探すことができたものだ。恐らく20年前には普及していなかった住民基本台帳ネットワークシステム、住基ネットを使ったものであろう。

 

生活保護で良かったのは、脳梗塞を患い、肢体不自由な姉を奈良市から鎌倉市まで連れてくるまで、引っ越し費用や家を借りるのに必要な敷金、礼金、家賃一か月分の費用を出してくれたことだ。引っ越し費用は現金でもらえたから助かった。病院にかかる費用もすべて出してくれる。しかし、健康保険証を発行しないため、どこそこの病院に行きますと予め市に知らせる必要があること、病院には私は生活保護者で、既に市に受診許可を受けていますと窓口に告げなくてはいけない。姉を連れて病院に行くときは、これが辛い。市の福祉支援係は、生活保護者からの電話を受けて、病院に電話し、市が直接支払いますと告げることになるため、病院には患者が生活保護を受けていることが分かってしまう。この制度はどんなものであろう。プライバシーは保護されるべきではないか。しかも一々生活保護者が病院に電話し、それを受けて担当者が病院に電話する。行政の効率性から言っても問題がある。生活保護者に健康保険証を発行し、一部負担費用は市が支払うという文言を健康保険証に書くだけでもよいのではないか。これと対照的なのは、子供の医療費の無料化制度である。鎌倉市では、10歳になる息子の医療費(中学3年まで無料だが、小学1年に上がるまでは所得制限がなく、小1から中学3年までは所得制限がある)を無料にしてくれているが、わざわざ受診するのに、電話する必要がない。「鎌倉市が医療費の一部を助成している者であることを証明します」と書かれた小児医療証を病院に見せるだけで足りる。生活保護者の医療費も、小児医療証に倣ったらどうだろう。今の制度はプライバシーの面や、行政の効率性、係る費用の面から改善すべきである。

毎月の支給費月11万9,900円も安すぎる。しかもこの10月、今まで12万1,170円だったものが1,270円減額されてもいる。この額では、かつかつの生活で、貯金もできない。生活保護は社会のセーフティーネット、いつ我々が利用するか分からない。憲法で補償された国民の権利でもある。もっと充実させたいものだ。


森川海守通信

発行人の森川海守(もりかわうみまもる)です。文字通り、森と川と海を守ろうという意気込みで命名しました。2週間に1回の発行です。1ヶ月わずか330円と低額の有料のメルマガです。どうぞご利用ください。

 本メルマガは、環境問題から、マスコミの在り方、観光の薦めなど、かなり硬軟様々です。槍玉に挙げる相手は、日銀、NHK、国土交通省、朝日新聞など。推薦する観光先は、九州から北海道、北はノルウェーから南はタイ、南大洋州などです。目指すは、社会変革です。アイデアマンを自負し、コンクリートとプラスチックからの脱却、非正規社員の待遇改善、少子高齢化の是正、子供の眼鏡の解決策などなどを示したい。「レジ袋の有料化」は筆者が提案し、20年かけて実現したものです。


第24回メルマガ(10月24日配信) これぞ「源泉掛け流し」。湯河原の「大滝ホテル」!

 先の日曜日、妻と小学4年の息子、そして妻のご両親の5人で、湯河原に行ってきました。湯河原と言えば、東京からだと小田原の先、熱海の手前。熱海に比べ知名度は劣るものの、湯量はひけを取らない。「源泉掛け流し」とはどういうものかを知らない読者は、「大滝ホテル」に行って見るが良い。男性風呂も女性風呂も(1日ごとに場所を変えるので、男風呂、女風呂もないでしょうが)、湯船の端に、高さ1m、幅が2mほどの石造りの滝があり、次から次へと温泉の湯水が湯舟に流れ落ち、湯船からも惜しげもなく地面に流れ落ちている。例え髪の毛が浮いていたとしてもどんどん流され、一時として、浮いている暇がない。このため、湯は清浄そのもので、ほんのりとした匂いもする。塩素の匂いがする循環風呂とは、雲泥の違い。これぞ「源泉掛け流し」というものだ。温泉は、地下350mから8本の井戸でくみ上げられた源泉で、毎分150リットルの湯量だと言う。他からもらい受けた温泉ではない。この豊富な湯量のため、全室温泉内風呂付。なんと1年中無料の幅が3m、長さが10m程の温泉プールも併設されている。朝食後はすいていて、大いに体を動かすことができた。30分520円の卓球台や、カラオケ、テニス場もある。

 大滝ホテルのいい所は、外国人を雇っていないところだ。日本の女性陣がテキパキと食事を給仕してくれる。今回は相模ポークしゃぶしゃぶを食したが、スープが豆乳になっており、十分満足の食事であった。土日で1泊1万3千円。平日だと1万円を切るプランもある。

 

今回、湯河原までは、駅で特急券だけを購入、特急「踊り子」号に乗って湯河原に行った。JR駅の改札口付近に特急券自動販売機があり、湯河原駅では、今乗れるボタンがあって、すぐに乗れる踊り子号を予約できる。スーパービュー踊り子号は、眺めが良く、ために窓側席はすぐに予約で埋まるとのこと。出かける日時が決まったら、すぐに踊り子号の予約を取ろう!

 大滝ホテルまでは、湯河原駅そばのロータリー内、足湯ができる所のバス停から乗って20分程のところ。着いた先のバス停からはわずか2分ほどのところにホテルはある。なんとホテルから歩いて2分程の所に、見事な不動滝もある。今回残念だったのは、雨のため、みかん狩りができなかったことである。JR湯河原駅ロータリー内、湯河原駅改札を出て右側に看板が出ており、農園の車で送迎してくれる。食べ放題で料金はわずか400円。但し、お土産として持ち帰る場合は、別途料金がかかる。湯河原駅ロータリーの木材の屋根は見事


 特急待ちやバス待ちの間、湯河原駅を出て、右端にある、「ウエスト駅前店」でコーヒーとサンドイッチを食した。どちらも美味しく、お勧めしたい。またお土産を買う店としては、湯河原駅真向かいにある、何でもそろえ、温泉まんじゅうも湯気を立てている湯河原駅前みやげ処「一福堂」を薦めたい。


今回の旅は、「ゆこゆこ」を利用。まだ、宿情報満載のお宿情報誌を契約していない方は、ナビダイヤル:0570-007-633で申込しこんでみてはいかがか。無料の宿情報誌(北海道版、東北版、関東版他計10版が発行されている)が3~6か月に1回届きます。ネットでも申し込みできますが、ゆこゆこのいい所は、電話1本で予約ができ(電話のつながりも良い)、部屋の希望なども伝えられて便利であること、支払いも現地支払い(現地でのクレジット支払いもOK)ができるところである。

ゆこゆこのネット版:https://www.yukoyuko.net/



第23回メルマガ(10月10日配信)あなたは悪魔を信じますか?

世の中で色々な事件が毎日起こっているが、その中で、この事件は悪魔にそそのかされて起こされた事件だと確信して思うときがある。そういう事件の一つがあるカトリックの学校で起こった。今から数十年前のことで、ある修道士が起こした事件である。かれは神父ではないが、長年、この学校の発展に功績があり、この度の建造式典も、彼が全力を尽くして建造の運びとなった建物の完成を祝う式典であった。その式典をまじかに控えたある日、彼に非情な命令が司教様から下された。式典の前にその学校を離れて別の学校に移動しなさいという司教様の命令である。カトリックは階層社会で、下の者は、上の者の命令に従順に従わなくてはいけない。しかし、この修道士は納得がいかなかった。自分が無き者にされたと感じ、激しい怒りを抱いた。年下の神父、どうやらこの神父が画策した移動だったようだ。修道士はこの年下の神父を自室に呼び出し、なんと話し合いの最中、激情の余りナイフで神父を刺し殺した上に、自分をも刺して自死してしまったのだ。筆者が疑問に思うのは、時期である。もうすぐキリスト様の十字架にかかった聖金曜日のミサがあり、その日曜日にはご復活を控え、信者はもちろん、聖職者にあるものは断食をしたり、祈りをしたりという大事な時期に、とんでもない事件が引き起こされたのだ。筆者は、この事件の新聞記事を見て、これは悪魔にそそのかされて起こされた事件と確信した。事件を起こした修道士は地獄に行った。そう確信した。因みに言えば,歴史を紐解いてみれば、この人物は死ぬ間際に改心の心を起こしていない限り地獄に行ったと確信する人物を特定できる。あのユダヤ人を虐殺し、愛人と自死したドイツのアドルフ・ヒトラー、比叡山延暦寺の焼き討ち事件で何万人と殺し、最後は自死した織田信長、朝鮮出兵では何万人もの韓国人を殺した豊臣秀吉などを挙げることができる。

ところで、この悪魔、元は天使だったのをご存知だろうか。あろうことか、悪魔も神様が創造されたというのだ。創造物に自由意志を与えたために、自由意志が悪用され、悪魔が生まれたという。「悪魔の話し」(講談社現代新書)の著者、ドイツ文学者の故池内紀(おさむ)氏は、「神は悪魔が人間を誘惑するがままにさせているとしても、それは人間を罪にめざめさせるためであって、悪魔との戦いを通じて徳に至らせるため。謙譲を教えて、悪を見分けるすべをさとらせ、しょせんは神に依存している自分を見出させるためではなかろうか。」と述べておられる。

 さて、なぜ筆者が悪魔の話しをしているのかというと、最近、フランスのカトリック教会の神父らが、21万6千人の子どもたちに性的虐待などの性被害を加えたとする報告書が10月5日に公表されたからである。アメリカでも日本でも同じような報告がされている。これは特に狙われやすい神父が、カトリック信仰から一般の人を遠ざける最大のチャンスとして、悪魔によって標的にされたと言える。性的誘惑については、カトリック教会の神父が独身を通すこと、これがいけないのではないかと思う。性的誘惑に打ち勝つことは並大抵ではない。最近のインターネットの普及で、目にしたくなくても、宣伝を通して、新聞広告を通して、裸の女性が目に飛び込んでくる。神父も人間である。以前に、アメリカで、カトリック神父2人を、ラスベガスに連れて行くと言う企画があった。テレビを見ていると、黒づくめの神父が2人、お立ち台で裸同然で踊っている踊り子を見て、興奮が絶好調に達している様を見たことがある。娯楽の殿堂、ラスベガスに行って、自分自身も含めて興奮しない男性はいないだろう。イスラム教を起こしたマホメットでさえ、女性を見ただけで興奮し、股間を触りたくなるだろうから、女性だけに全身を黒い衣服で覆うブルカを着せると言う虚に出た。女性は男性に罪を起こさせる張本人、社会の中を、肌を出して歩かせるな、長く美しい髪をなびかせるなとなって、女性だけにブルカで全身を覆う厳格な宗教をはじめることになったのだ。筆者は思う。「性を謳歌する」、いいではないか。それが自然なことである。そうでなければ子供は生まれない。性を謳歌しなければ、やがて人類は滅びるだろう。種を残せずに滅びるだろうと思う。

独身を貫くというカトリックの制度は、性的虐待を起こすようになっては、制度疲労を起こしていると指摘できる。宗教改革を起こして、カトリックから分かれて行ったルター派を初めとしたプロテスタントは、既にルターの時から、既婚を許しているし、女性牧師も許可されている。最もカトリックに近いイギリス国教会(聖公会)でも、妻帯が許されているし、女性神父もいる。フランシスコ法王には、神父の妻帯制や女性神父の公認を、英断をもって実行してもらいたい。はっきり言って、女性神父がいなければ、カトリックには女性差別が残されていると断言する。


第22回メルマガ(9月26日配信)ベランダから天体望遠鏡で星を見る

  マンションの購入を決めた日、思ったのだ。「しめた!ベランダから天体望遠鏡で星が見える!」と、しかし中々高価な天体望遠鏡は買えなかった。子供が10歳になって迎えた最初のクリスマスの日、プレゼントに、望遠鏡を買ってあげようかと思い、ビックカメラで物色していたら、ことごとく売り切れの札になっていた。親が考えることはどこも同じである。通販でも物色してみたがどの機種も売り切れであったが、よくよくインターネットを物色してみたら、ビクセンのポルタⅡ(AB0Mf)、口径80mm倍率144倍の屈折式望遠鏡が3万5千円で購入できた。しかし、月を見ても中々焦点が合わない。高倍率のレンズに至っては、暗い上に、焦点を合わせるのが難しい。なんやかやで、とうとう愛想をつかし、メルカリで半額で売り飛ばしてその金を元手に、今使っているのは、6万円弱のKenko Sky Explorer SE-GT102MⅡである。自動導入システム、自動追尾機能があり、見たい星を望遠鏡が自動で導いてくれると言う。そういう謳い文句であったが、自動導入をするのに、2つの一等星を見つける必要がある。しかし、ベランダから空を見ると一等星の名前が分かるのはせいぜい1つの星くらいである。付属しているコントローラが液晶ディスプレーに星の名前を映し出すのだが、ボタンを押してもすぐに次の候補の星の名前が出てこない上に、出てきた星の名前がほとんど聞いたことのない星の名前なのだ。せめて星座早見盤に出てくる星だけでやって欲しいものだ。結局調べあげた結果、ディスプレーに出てきた40個の星の中で、ベランダから見える星はわずか2つのみ。目の前の樹木が邪魔していたり、屋根が天頂を見るのを邪魔していたり、隣りの壁が邪魔していたり。すぐに動かないボタンを押して延々と見える星を探すと言う手間がかかるのが難儀であった。最大の難関は、望遠鏡が自動で映し出した星がファインダ―では見えるのだが、接眼レンズには映らない。そこで、ボタンを押して望遠鏡を動かそうとするのだが全く反応がない。とうとう、メーカーに電話で尋ねたら、速度ボタンがあって、自動ではボタンを押してもほとんど動いているのが分からない遅い速度に設定されている。これを変えなくてはいけないと言う。これが分かるのに優に9ヶ月かかりました。取り扱い説明書には、自動では遅い速度に設定されていると付け加えて欲しいものだ。さらに自動導入がうまく動いてくれるためには、望遠鏡が水平になっていなくてはいけない。あれやこれやで、とうとう先日、自動導入が成功して、散開星団が見えた時は感動した。これから冬を迎え、ベランダからは華麗な冬の星座、オリオン座が見えるのが最大の楽しみである。

天体望遠鏡を使って一番がっかりしたこと

 書籍やテレビ、iPhoneで見ると、オリオン座大星雲や木星等の縞模様に色がついているのに、なぜ天体望遠鏡で見た星に色がつかないのか。最大の難問である。実は、遠方からの光はわずかで、長時間露出してやっとカラーで写真に写る。しかし、人間の眼は長時間露出ができず、星がカラーでは見えないのだ。オリオン座大星雲、カラーで見たいものだ。実際はぼやーんと靄(かすみ)がかかっているだけである。

天体望遠鏡を使って一番感動したこと

 下記に紹介するソフトでは、流星が見える放射点を指し示してくれるので、上空を見ていたら、流れ星が右に流れていきました。一番感動したのは、接眼レンズの中で、流れ星が横切ったときである。いつも行く散髪屋さんのおじさんは実は若い頃星観察クラブに入っていたことがあり、88星座がすべて分かると豪語されているが、レンズの中で流れ星が流れたという話をしたらそれは珍しいですねといってくれた。


星空観察で取り揃えたいソフト

iステラ(iPhone用)と スマートステラ(iPod用):一番の問題は、星座早見盤を使っても、今見える星の名前が分からないことであるが、iPhoneやiPadを星の方角に向ければ、矢印が出てきてナビゲートしてくれる上に、星の名前や流星の放射点を教えてくれる。これは重宝する。有料のソフトでわずか480円である。

Star Walk 2-星座アプリ3D(iPod用):同じような機能を持つが、ニュース等で今夜何が見えるかなどを案内してくれるので、便利である。ただ、英語翻訳文なので、日本語がぎくしゃくしているのが難である。


第21回メルマガ(9月12日配信)

 筆者の小学生の頃の視力は1.5以上はあった。なぜ視力が良かったか。筆者には姉が3人いたのだが、父親の事業がうまくいかなくなったためか、離婚して家族はてんでんばらばらになってしまった。しかし、筆者を引き取った父親も、何を思ったか、筆者を一人アパートに取り残してトンずらしてしまったのだ。どこに駆け落ちしたか?こうして、小学1年の頃、筆者は、まだ田園地帯が広がる国分寺にあった孤児院に預けられた。ところが、この孤児院、とんでもなく広い孤児院で、小学1年から中学3年までたった200人しかいない所なのに、運動場は3面もあり、25mのプールも、豚小屋も鳥小屋も、畑もあった。なんと、熊が出ると恐れられた林までもが付属していたのだ。何でも自給自足できる荘園のような学園で、学校が終わったら外で遊びなさいと言われ、子供たちは、野球にサッカーにと遊び回っていた。顔をぐるっと見回せば、遮るものはなく、地平線までもが見えた。これでは、目が悪くなれといったって悪くなるような環境ではない。ところが、中学生になって受験を控え、薄暗い教室で参考書を読んでいたら、一遍に目が悪くなってしまった。健康診断で引っかかり、眼鏡を掛けよとなって現在に至ってしまった。

 閑話休題、今から20年前、筆者はタイで4年間、シニア海外ボランティアとしてチェンマイとバンコクに近いノンタブリと言う所で、廃棄物処理の専門家として住み込んだことがある。生活してみて一番驚いたことは、眼鏡を掛けている人が皆無だったことだ。その理由としては、地平線が見えることだと筆者は考えている。チェンマイで、高層ビルがあったのは一棟のみ。後はすべて2階建てか平屋である。家の造りはどうか。良く日本人の家はウサギ小屋と言われるが、タイでは、天井が高く、家の中も日本家屋の2倍近く広い。近視になる理由は、近いところばかり見ることが原因である。近視になる理由はどこにもないのだ。以前、テレビ番組を見ていて面白い企画の番組を見たことがある。眼鏡を掛けたお笑い芸人2人がタイに住み、タイ人と同じように生活したら目が良くなるかどうかという企画である。海に近い所で、タイ人は夕方、海を眺めてぼーとしている。そこで、2週間、夕方海を眺めて帰国したら、なんと眼鏡がいらなくなってしまったという。下に、朝日新聞記事を掲載した。スマートフォンなどを長時間見る子供が増えて、裸眼視力が1未満の小学生の割合が約4割、中学生が約6割に上ることが判明したという記事である。特に、このコロナ下、巣ごもりの生活が影響して、視力が低下していると言う。うちの小学4年になる息子も、1日、ゲームだ、テレビだといっては、近い所を見る生活ばかりになっている。そこで、30分ゲームやったら、5分休んで外を見なさい。できるだけ外で遊びなさいとかみさんが指導している。現在視力が0.7で眼鏡生活になってしまうかどうか、風前の灯である。

 そこで、ドライアイでもある筆者は、本屋で目が良くなる本を物色して購入してみた。お勧めする本は、「驚くほど目がよくなる!たった10秒の眼トレ」(日比野佐和子著、SB新書)と、「老眼をあきらめるな!」(足立和孝・有安正規著、健康人新書)の2冊である。色々、目が良くなる方法が紹介されているが、いま我が家で実践しているのは、2冊とも推薦しているホットタオルだけである。温めたタオルを、5分間目に当てるという方法である。日比野先生は次のように述べておられる。「視力が落ちる、スマホ老眼になる、目がしょぼしょぼして遠くも近くも見にくい。こんな目の悩みの多くは、毛様体筋の緊張からはじまります。毛様体筋を温めて、緩めてあげれば、目のトラブルの多くは解消できるのです。」

 本当かどうか。最近、筆者はマスクでは眼鏡が邪魔だとして、通勤時は眼鏡を外す生活をしている。老眼になって、新聞を読むのも眼鏡を掛けている方が見づらいので、とうとう50年間掛け続けていた眼鏡を外す生活をしてみた。なんと、最近、バスの後部座席に座ったら、2m先の先頭車両に掲げられている行き先を告げる掲示板の文字が見えるのが分かった。実際、最近、健康診断があり、裸眼視力を測ってみたら、去年が眼鏡をかけて視力0.5だったのが、今回は裸眼視力が0.4なのだ。さすがにパソコンを見るのはつらいので、眼鏡を掛けているが、それ以外は眼鏡を外している。テレビを見るのも眼鏡なしである。そもそも、テレビは文字が大きいので、眼鏡は不要である。眼鏡なしの生活がこんなに便利だということが改めて分かる。汗を拭くときもわざわざ眼鏡を外して、顔を拭う必要がない。顔を洗うときも眼鏡を外して脇に置いて、それからおもむろに顔を洗う。こんな面倒なことからもおさらばである。これもそれもホットタオルの実践が効いているのか。気持ちがいいので、5分間のホットタオルを勧めたい。寝ながらやるので、足や腰のストレッチをしながらやっている。ストレッチしながらの5分間のホットタオル、これが今回のメルマガの話題である。しかし、日本国の皆さんには言っておきたい。眼鏡を掛ければ、容姿が悪くなる。生活スタイル、住居の在り方、建物の建て方、すべてもっと広々とした造り方をやってみませんか。高層ビルは止めて、地平線が見えるようにしませんか。これから少子高齢化がますます進んでいく。ぎゅう詰めに建物を建てる必要はありません。天井はもっと高くし、リビングも今の標準の2倍にしましょう。ウサギ小屋と言われて恥ずかしくありませんか。広々としたマンション、個人住宅。国として目指すは眼鏡人口の減少である。そのためには、街の在り方、住居の在り方から見直す必要がありますよ。


第20回メルマガ(8月22日配信)

タイは果物天国!美味しい果物を食べにタイに行こう!

今から10年以上前、シニア海外ボランティアになってタイに4年間住んだことがある。タイで、最も衝撃を受けたのは、果物の美味しさである。最初にタイのホテルで口にした果物は、ドラゴンフルーツであった。白い果肉の中に、黒いゴマ粒が所々入っているという印象だが、口の中に入れると、柔らかい果肉が口の中でとろけて、爽やかな味わいが広がる。現地ではレモンをかけて食べている。白い果肉と赤い果肉の2種類ある。最近、近くの市場で赤い果肉のドラゴンフルーツが安く手に入ったので、家に持ち帰ったことがある。小学4年生の息子は、一口食べて、「僕もういいや」と言って、それ以上口にしない。白い果肉の方が食べやすいかもしれない。

 日本人の中で一番人気はマンゴーである。手の平よりも大きなうりざね顔のような形と言ったら良いか。面長のといった方が分かりやすいか。中身は、黄金色の果肉である。初めて食べたときは、この世の中に、こんな美味しい果物があるんだと衝撃だった。何しろ、一口食べて、とろーりと溶けて爽やかな甘さが口の中で広がる。マンゴーの中身は、うりざね顔の外形にそった形の平らな種が入っている。このため、魚の3枚おろしの切り方で切るのが良いだろう。ところで、タイ人にマンゴーが一番好きと言ったら、次の日、5、6個のマンゴーを持参してくれた。タイの家庭では、庭にマンゴーを植えている家庭が多いのだ。因みに、筆者の庭ではバナナがたわわに実っていて、毎日バナナが食べ放題であった。ふつう野外でも、マンゴーの木やバナナが街路樹のように植えられている。このため、タイの乞食は飢えて死ぬことはない。しかしバナナについては、現地に行かないと分からないことが2つある。1つは、枝に実っているバナナ一房の大きさは、日本のスーパーで売られているバナナ一房よりも20~30倍の大きさであったことである。タイのスーパーで売られているバナナ一房の大きさも、優に2倍はある。もう一つは、収穫するため、枝からバナナ一房を切り落としたら、白い樹液が服に付いた。結局この樹液は服から取り除けず、丸々1着ごみ箱に捨てざるを得なかったことである。

さて、翌日、マンゴーを届けてくれた同僚に美味しかったと伝えたいのだが、タイではご法度である。また下さいと言っているように聞こえるからだと言う。これははっきり言って残念な習慣である。お礼をいいたいものだ。

 こぶし大の紫色をした果物、これがマンゴスチンである。紫色の1cmの厚さの表皮は手で割ることができるほど柔らかい。割ると、純白と言ったら良いか、真っ白な果肉が顔をだす。食べると、これも爽やかな後を引かない美味しさである。柔らかいので、次々に食べてしまう。なお、時々、白い果肉の中に、少し硬い果肉が顔を出す。これは食べられるが、美味しいと言うものではないため、吐き出しても構わない。

  ドリアン、これはどなたも知っておられるだろう。臭いことで有名で、ホテル等の入り口には、持ち込まないでくださいとの案内板が掲げられていることが多い。持ち込もうならば、1週間は腐った腐肉の匂いが消えない。しかし、初めて食べた時、これは美味しいかもしれないと思った。まるで、ほくほくの黄金色のサツマイモを食べているような味わいで、匂いはきらいでも、ファンは多い。但し、スーパーで売っていても、食べごろかどうかを聞いた方がよい。何しろ、外側はとげとげしいと言ったらよいか、硬い尖った表皮に覆われており、外国人には、食べごろが分からない。もう一つの注意事項は、お酒と一緒に食べないことである。お腹の中で発酵してガスが発生し、腹部の膨満感や気持ち悪さといった症状を引き起こす。現地では、ドリアンと一緒にアルコールを取ると死ぬと言われている。タイでも食べ合わせがある。

 その他、タイでは、ソムオーというオレンジや、ランプータン、ジャックフルーツ、パパイヤといった果物が目白押しである。美味しい果物を食べるために、タイに旅行するのは「有り」であると言っておきたい。なお、以上の果物をすべて味わうことのできる季節は、タイでは雨期のときである。日本では梅雨の時期の6月頃である。雨期と言っても、1日中雨が降っている訳ではなく、1日中熱いタイで、時々厚い雨雲が通り過ぎる時に大ぶりな土砂降りの雨が降るだけなので、観光には支障がない。

なお、タイの航空券は6月が一番安く、一般には往復4万円代。


マンゴーの時期は、3月から6月。マンゴスチンは、5月から9月。この二つは外したくないところである。

ホテルでは、その時期の果物がすべて配膳される訳ではないため、市場を訪ねたい。


第17回

この夏、南房総の館山に行こう!森川海守(もりかわうみまもる)の夏の思い出

 今から60年前、筆者が小学生の頃、夏の臨海学校は千葉県房総半島の先端、南房総の館山だった。その時の話を紹介しています。館山の観光記事になっており、特に磯遊びができる沖ノ島を紹介しています。この夏どうぞ出掛けて見ましょう!

なんと、まだ蒸気機関車が走っていた時代である。

この夏、南房総の館山に行こう!森川海守(もりかわうみまもる)の夏の思い出

 今から60年前、筆者が小学生の頃、夏の臨海学校は千葉県房総半島の先端、南房総の館山だった。

なんと、まだ蒸気機関車が走っていた時代である。東京から蒸気機関車で館山に行った。小学生の身でも、蒸気機関車は重々しくて格好良かった。海岸沿いに走り抜けていったが、それは小学1年生の時だけだったかもしれない。程なく、現在と同じ電車に代わった。今なら、特急さざなみで、新宿駅から乗り換えなし、わずか2時間ちょっとで館山に行ける。それにしても、当時、親から見捨てられ、預けられた孤児院のカトリックのサレジオ学園、夏の間、よく南房総に家一軒借りたものだ。小学1年から中学3年まで、総勢200名が、夏の間、入れ代わり立ち代わり館山に行った。小学低学年は、まだ夏休みに入る前で、広々とした木造の日本家屋の畳の上で、授業を受けた。高学年は、夏の間、2、3週間、毎日、海で遊んだ。宿舎は海まで歩いて10分もかからない所で、宿舎の周りの地面は白い砂である。時々赤い甲羅のカニが歩いていて、まさに海辺の臨海学校という雰囲気であった。

当時の館山は、自然豊かな白い砂浜で、今も驚くのは、波が引くたび、たくさんの貝が顔を出し、容易に拾えたことである。砂を掘って貝を取るのではないのだ。波が引くたび、皆で拾って、味噌汁にして食べたが、こんな砂浜、日本全国で経験したことがない。今の館山はどうだろうか。どうにかして行きたいものだと思っている。トビウオも目の前でピョンピョン跳ねていた。時々、漁師さんが地引き網をしていることがあり、よく手伝って綱を引いたものだ。こういうときは、網からこぼれた子魚が目の前でいっぱい泳いでいたものだ。

泳ぎは見よう見まね、誰からも教わらず、足をばたつかせてすぐに泳ぎを覚えた。目を開けて潜水もした。波が荒くても、雨が降っても泳いだものだ。現在小学4年の息子は、水泳スクールに行って泳ぎを習っている。隔世の感がある。泳ぎって、習って泳ぐものか。

 夜は、星を見に海岸に行った。砂浜では、波がざざーっと押し寄せるたび、夜光虫がきらきら光った。夜光虫はどこにでもいるから、海に行ったら、夜の砂浜に出掛けてみよう。

 宿舎の近くには大きな川もあり、泳ぎに飽きた子供は、先生が釣りに連れ行ってくれた。竿は竹や棒である。餌は牡蠣を拾って石で割り、中身を取り出して使った。なんとウナギが釣れたこともある。岸辺から、ウナギが見え、餌を口元に落とし込んだら釣れたのだ。ウナギは、その日の夕方、先生方の胃袋に収まった。

館山のお祭りの時は、歩いて10分ほどのところの、沖に突き出た木の桟橋に出掛けたが、木の板と板の間にすき間があり、こわごわ歩いたものだ。こういうときも、上から魚が見え、餌を垂らして魚を釣った。見える魚は釣れないと言われるが、実際は逆なのだ。

 館山には冒険できる無人島の沖ノ島(今は公園になっており、本土からは砂浜の道でつながっている)もあった。宿舎から歩いて1時間、キャンプを張って飯盒炊爨(はんごうすいさん)、飯盒でご飯を作って食べたりもした。キャンプを張るときにすぐにしなくてはならないことは、トイレである。穴を掘り、回りを草木で覆ってトイレを作るのだ。これは先生方が行なった。しかし、当時なら問題ないが、いまはこんなこと、できるだろうか。

筆者が好きだったのは、野外ミサである。サレジオ学園はカトリックなので、こういう時は野外でミサを行う。野外で、聖歌を歌い祈るのだ。風が体の中を通り抜け、蝉がみんみんと鳴く。こんな自然の中で行う野外ミサが好きなのだ。

沖ノ島の回りは岩場で、色とりどりの貝や魚がいた。当時は気が付かなかったが、インターネット検索をかけると、サンゴもいると言う。磯遊びができる小さな無人島である。是非行って見たいものだ。磯遊びでは、箱めがねがあると重宝する。貝をこじ開ける小道具も欲しい。フジツボやそこらにいる貝も美味しい出汁が取れる。「海遊びの極意」西野弘著、つり人社発行、によると、ヤドカリやカメノテ、ヒザラガイのたぐいも美味しいと言う。筆者の記憶によると、60年前の沖ノ島は陸でつながっていなかったと記憶している。泳いで島に渡った記憶がある。

なお、現在の館山は駅舎を中心に南ヨーロッパ風の建物で統一され「リゾートタウン館山」を演出している。

館山までのアクセス:東京アクアラインができたので館山までは容易である。

1.横浜駅~館山 高速バス 片道料金 2,600円 1時間50分

2.新宿駅~館山 特急さざなみ (土・日)7:50発~10:06着 2時間16分 片道4,200円

館山 沖ノ島公園 写真で見ると、島は砂浜の道でつながっている。現在はコロナ対策もあり、車の進入禁止があり得る。

 沖ノ島は北限域のサンゴの生息地とも言われ、アマモなどの藻場が形成され、色鮮やかな小魚が住む豊かな生態系を有しています。島は南房総国定公園の第1種特別地域に指定され、海岸植生豊かな極相林(極相:人の手が加えられておらず、自然に生い茂ること)が形づくられています。館山市の貴重な自然資源である沖ノ島を未来の子どもたちに引き継ぐために、賛同者からの協力金をお願いし、環境保全に役立てて行きます。」とあり、車1台1000円、一人1口500円の協力金が求められている。


引き潮の時だけ現れる小豆島の土床(とのしょう)港から余島(よしま)に伸びる砂の道エンジェルロード(天使の散歩道)やフランスのモンサンミッシェルも同じように、離れ小島が、砂の道でつながっている。



引き潮の時だけ現れる小豆島の土床(とのしょう)港から余島(よしま)に伸びる砂の道エンジェルロード(天使の散歩道)

(2019.7森川撮影)


第14回メルマガ(6月13日配信)プラスチックからの脱却―こんな商品がお勧め―

 5mm以下のプラスチックを、マイクロプラスチックと呼んでいる。ところが環境中では、さらに劣化して小さくなり、マイクロプラスチックの1000分の1のナノの単位まで小さくなったプラスチックを、ナノプラスチックと呼んでいる。ここまで来ると、細菌と同じ大きさになり、なんと血液中にまで入り込んでくる事態になっている。「プラには寿命がない」。我々は、生分解するプラスチック、環境中で分解される材質への転換を強力に押し進めないと、世界といわず、体の中までもがプラスチックで覆われてしまうだろう。今回は、プラスチックからの脱却を目指す自然素材の製品を紹介したい。

ヘチマ(糸瓜いとうり)

つる性の1年生植物で、昔はヘチマタワシとして体をこするのに使われていた。若い果実は食用として、煮物や汁物に使われ、成熟した果実は、実を腐らせたり、煮たりして繊維を取り出して乾燥させたあとは、タワシなどに使える。いま売られている物は、安い物はタイ産のようだ。筆者もタイでヘチマを購入したことがあるが、使っていると種がぼろぼろ落ちてきて閉口したことがある。タイでは、種を取り除く工程を省略しているようだ。日本で購入した物にはそのようなことはない。20cm前後のヘチマは、一つ、138円ぐらいである。プラスチックのスポンジに代わる素材で、風呂の浴槽をやさしく拭くのに適している。ボロボロになったら、石鹸箱の底に敷く石鹸の受け皿に最適。東急ハンヅや、浅草や鎌倉に支店がある「かなや刷子(カナヤブラシ)」等で販売されている。

消しゴム

消しゴムの大半は、PVCポリ塩化ビニル(塩ビ)からできている。燃やすとダイオキシンが出る。消しごみの消しくずは、きちんと管理しないならば、野外に出て、確実にマイクロプラスチックになる。塩ビの消しゴムに換えて、天然ゴムからできた消しゴムに換えて行こう。トンボ鉛筆から発売されている。製品のHP上での説明文によると、「インク用のモノ消しゴム ボールペンで書いた文字や印刷された字を消すための消しゴムです。天然ゴム、硅石粉を使用した非塩ビの消しゴムでインクを紙ごとけずることで字を消します。」とHP上に記載されている。なお、消しゴムの種類として、「消しゴムは、いわゆる天然ゴムで出来ているゴム字消しと、プラスチック字消しの2種類があります。ゴムではないものもあるので、正確には「字消し」と言います。ゴム字消しは、鉛筆用の白ゴム、ボールペン等の筆跡を消すための砂ゴムなどがあります。プラスチック字消しは、塩化ビニール樹脂を原料としたものが主流ですが、最近は合成ゴム(SBR)の字消しも増えてきています。」とある。

弁当箱

弁当箱は、プラスチックではないものを使おう。弁当箱としては、軽い、スギやヒノキなどの薄板を曲げて作られる曲げわっぱが軽くて良い。ただ、傷みやすいのが欠点か。筆者は最近、木をくり抜いた弁当箱を使っている。塗装もプラスチックのウレタン塗装ではなく、天然素材の漆塗りの木の弁当箱を勧めたいが、筆者が買って使っている木の弁当箱が本当に漆塗りなのかどうかが分からない。木の弁当箱は、湿気を適度に吸ってくれるため、白米が冷たくても美味しいのが良い。


たわし:パーム椰子(やし)の実や棕櫚(シュロ)といった天然の繊維から作られている。我が家は、台所でも風呂場でも、プラスチックのスポンジ等に換えて、たわしで食器を洗い、また床などを掃除している。良く落ちるし、天然であるのが良い。


木の桶と椅子:プラスチックに換えて、木の製品を使おう。木の桶を使って、浴槽のお湯を使えば、水の節約にもなる。確かに、プラスチックと比べて値がはるし、劣化も早いが、環境のための投資と考えたい。


マイボトル:筆者は、家で入れたミルクを入れただけのコーヒーとミネラルウォーターを、2つのマイボトルに入れて、通勤している。自動販売機でコーヒーを買うのは、缶という鉄やアルミニウムの資源を使い捨てにするようなもの。そもそも、金属臭が飲料に付くのを防ぐためか、缶も、アルミ缶も容器の内側にプラスチックが貼ってある。またコーヒー飲料には飲みやすくするため、角砂糖(3~4g)が平均4個入っている。清涼飲料水を飲むのは、糖尿病と虫歯への道を突き進むようなものだ。筆者は、何を隠そう、インプラントが4本も入っている。原因は若い頃、コカ・コーラが好きで良く飲んでいた。これが虫歯に効いた。マイボトルを持ち歩きたいものだ!


ブラシ

ブラシも、プラスチックから、柄が木で、毛が豚や馬、羊などの動物性の毛を使ったもの、シダやパーム等の植物性のものを使ったものに換えたい。上記の「かなや刷子(カナヤブラシ)」の店を紹介したい。



本漆は天然樹脂のため湿気のあるところで保存するのが鉄則です。乾燥しすぎるとひび割れをおこすことがあります。また、購入時には漆独特のツヤはなく、表面はなめらかだがどちらかと言えばマットな表情をしている。長年使用していくに従い、次第に漆独特のつややかな光沢を持つようになるのが特徴。(最初から油で砥いでツヤをだしている漆器もある)

使いはじめは、まだ表面の漆が若くてやわらかいためキズがつきやすいが、数年かけて乾燥し固くなりキズに強くなるのが本漆。下地として何重にも漆を塗り重ねて作られているので、使用中にについた細かいキズも長年使用していくにしたがって磨かれて見えなくなる。従来の工程で作られた高品質な漆製品は欠けたりはげたりしたら職人に直してもらうことも可能。木をくりぬいて作られた器などは長年の使用で木がわれてしまうこともある。まさに生きた器。

急に熱い汁ものをいれたり、漆盆に熱い器を乗せると変色するので繊細な扱いも必要。

最近はカラー漆も出回り、ガラス製品と漆のコラボも見られるようになった。

ウレタン樹脂の特徴

ウレタン樹脂は最初からツルツル・つややかな美しい光沢をもった表面をしています。カラーのバリエーションも豊富で、様々な絵柄が美しく描かれたウレタン樹脂の漆器が多いです。

数年かけて作る従来の漆器と違い、工場で大量生産が可能なため比較的低価格なのも魅力。

ウレタン樹脂なので使用するとキズがつきます。長年使用することで目に見えないような細かいキズもたくさんつき、表面が曇って汚くなります。はげ落ちたりしても修復はできません。

ウレタン漆器のお重などはカーボライト等で成形されているので、従来のお重に比べて重いのが特徴。

ウレタン樹脂だと汁ものなどの熱湯で表面の色が変わりにくいので扱いに気を遣わないのがいい。ただ、こども、孫へとつないでいく器にはなり得ません。コラム 本漆とウレタン樹脂の漆器の違い - ときに水面を眺めながら (hateblo.jp)


   6「素地などの違いを見分けるには」

 表面の、漆塗りとウレタン塗装の違いは一見しても判りにくいのですが、 まず においが違います。本漆には独特のにおいがあります、と云って も一般の人はこの判別法は困難かも知れません。

 次は、価格差です、汁碗を例にとると、4・5百円から1万円以上の 製品まであり、千円以下でしたら、化学塗料と思って間違いないでしょう。

  漆器と云っても、産地によって素地も違いますが、塗ってある漆の質も 違うのです。普通は安価なモノは品質表示がなされていますが、高級漆 器は逆に、制作者やお店の信用で取引きされているのです。変だと思れ るでしょが、良い方に解釈すると一筆では書けないほど、製造にこだわ りがあるのかも知れませんね。

 素地の違いの判別についても書いてみます。 「合成樹脂製」( 添付画像の2番 )合成樹脂の上に直接カシューなどの代用漆かウレタン塗装を塗刷毛を使わず、機械で吹付塗装をしているのが普通。刷毛塗りをしないので、塗装の厚みがつきにくく、ぼっこりした塗りの雰囲気がありません。

 木製と違い比重が重いので水に入れると沈む事も特徴。 「圧縮材製=木乾」( 添付画像の1番 ) 品質表示では、木質と表示されているモノで、木を細かくした物に合成樹脂を混ぜて、圧縮成型した素地を使用する。カシューなどの代用漆の吹付塗装が多い、中には刷毛塗りを施したモノもあります。

 持ってみると以外と見た目より重く感じる。 「木製」( 添付画像の3番 ) 木製漆器でも、本漆を塗ったモノは少ないのです。

 価格で云えば、1万円以上する物でしたら間違いないと思いますが、例外もあり、本漆を塗った物は、下地工程も丁寧にしてあります。木地にはケヤキなどを使うため、木目や導管が有るので、漆のなじみを良くするためにも、最初に生漆をしませるなど木地固めを含め、念の入った下地工程が必要です。

 本漆の手触りは、独特のぬくもりがあります。年を経た物は、木の木目も表に現われてきます(素地のヤセの為)これは漆が素地と外気と完全に遮断するのではなく、微妙に木の水分を出入れしている事にも関係があるのです

以上色々述べましたが、はっきり申しまして下地工程の処理の違いなど に関しては、目利きの人しかわからないのが現実です。だからこそ、本 物の漆器は”作り手の顔がわかるかたち”紹介がされることが大切です。漆の事や漆器 Q&Aなど (urushi-net.jp)



第13回メルマガ(5月23日配信) 発泡スチロールの製造・販売・使用を禁止しよう!

ある生協の配達員が帰った後を見ると、冷蔵品を入れた発泡スチロール箱の破片があちこちに落ちているのを見る。これって、一体なんのだ。配送が終わってみれば、お客さんの玄関にごみが落ちている。それも配達に使った箱からはげ落ちてきているのだ。5mm以下のマイクロプラスチックが空に、陸に、海洋に漂い、現在は小さなプランクトンまでもが体の中に取り込んでいるいま、玄関に落ちている発泡スチロールの破片は、拾われない限り、風に運ばれて河川へ、海へと流れていって、紫外線や風力等により、マイクロプラスチックになることは必定(ひつじょう)。

河川に漂う発泡スチロールも厄介である。筆者は、5年ほど前、河川清掃に従事し、船の上から3mの棒の先端に付いた外径32cmの網で、流れてくるごみを拾うという仕事をしたことがある。ごみの中で拾うのが一番厄介なのは、風に飛ばされやすい発泡スチロールのトレイやカップである。風が吹いている状態では、網で拾い上げても、二の間(ま)(船の中のごみを置いておく広間)に投げ入れる段階で飛ばされてしまう。また、隅田川で拾っている時に、大量の粉々に壊されたトロ箱(魚を入れる発泡スチロールの箱)が流れてきて拾うのが大変であった。これらは、故意に発泡スチロール箱を壊して河川に流し込んでいる輩(やから)の仕業か。

観光客が年間70万人も訪れる浜離宮では、その回りを取り囲む水辺を、1日2~3回も小型ボートでごみを拾っている。ここでは、かつて隣りが築地市場であったため、トロ箱が大量に水辺に浮遊していた。恐らく風で飛ばされて浮遊していると思われるが、値段が安いために、不要になった発泡スチロールを故意に捨てている輩(やから)もいるかもしれない。

 このように、発泡スチロールはかけらがポロポロと落ちるという性質がある。なぜポロポロ落ちるのか?それには、製造方法に理由がある。一般に、発泡スチロールといったら、製法により、3種類に分けられる(以下の説明はウィキペディアから拾っている。なおカッコ内の言葉は筆者の言である。)。

1.EPS:ビーズ法発泡スチロール (expanded polystyrene)

ポリスチレンを、主にブタン・ペンタンなどの炭化水素ガスで発泡させて製造される。具体的には、直径1mm程度の細粒状ポリスチレンであるポリスチレンビーズに炭化水素ガスを吸収させ、これに100℃以上の高温蒸気を当てて樹脂を軟化させると共に圧力を加えて発泡させる。発泡したビーズ同士は融着し合い、冷却時に様々な形状となって発泡スチロールとなる(このために、製造から時間が経つと、この融着が緩んでポリスチレンビーズがポロポロと落ちてくる)。1950年にドイツで発明され、日本では1959年より生産が始まった。断熱性・耐水性に優れ軽量なので、魚介類(トロ箱)や農産物の輸送、精密機械等の梱包材として普及した。日本では年間20万トン近くが生産され、その過半数~6割が容器として利用され、3割が緩衝材として、残りが建材や海などに於けるフロート(ブイや生簀の浮き)等に利用されている(このフロートからボロボロとビーズが落ちて河川を汚染している。ボロボロ落ちない製品に転換すべきである)。発泡させたポリスチレンビーズは、安価な緩衝材として、布袋等に詰めてクッションなどの家具(ビーズクッション)にしたり、精密機器輸送用の充填用梱包材に使われる。

2.PSP:発泡ポリスチレンシート (polystyrene paper)

EPSのように高温蒸気で加熱・発泡させるのではなく、熱を加えて融解させた原料に、発泡を行うためのガスや発泡剤を加え、液体から厚さ数ミリ程度のシート状に引き伸ばすと同時に発泡させたもの。発泡率は約10倍である。食品トレーや、カップ麺の容器に使われる。食品トレー等に加工するには、必要な大きさに切り分け、加熱しながら金型でプレスして整形する。

3.XPS:押出発泡ポリスチレン (extruded polystyrene)

液化したポリスチレンと発泡剤と難燃剤を高温・高圧下でよく混ぜ、一気に通常気圧・温度の環境に吹き出させる事で連続的に発泡・硬化させ、これを必要な大きさ(大体高さ2m・幅1m・厚さ10cmほど)の板に切断して製品を製造している。この連続的に製造する方法のために「押し出しボード」とよばれる。住宅の断熱材として屋根材の下や外壁の下などに使われている。

 いま環境中に散乱して問題になっているのは、1と2、すなわちポリスチレンビーズの粒々がポロポロ落ちてくる発泡スチロールのEPSと、風に飛びやすい発泡ポリスチレンシートのPSPである。筆者は、使っているうちに自分の体から原料の粒々が落ちてくる発泡スチロールを、欠陥品といわずして何と言おうと言いたい。この両者、EPSとPSPはその製造・販売・使用を禁止すべきである。読者の皆さんも発泡スチロールの使用を止めるよう提案したい。筆者は、知り合いにも広く伝えて賛同者を得たいと思う。現在、有名なNatureに論文を発表しようと準備中です。南方熊楠(みなみかたくまぐす)もしばしば論文を投稿していたという。掲載された論文の数50編!それにしても彼はどうやって食べていたのか?


千葉県の房総半島沖の水深6千メートル近い深海底で、大量の使い捨てプラスチックごみが海洋研究開発機構の調査で見つかった。1平方キロあたり平均4561個に上り、レジ袋や1984年製のハンバーグの袋があった。海に流れ出たプラごみの集積地の一つと考えられている。2021年4月1日、海洋機構が3月30日、海洋汚染に関する英科学誌「マリン・ポリューション・ブレティン」に論文を発表した。プラごみは、世界で年間1千万トンを超える量が海に流出していると推定されるが、ほとんどの海洋プラごみの行方がわかっていない。海洋機構は、房総半島沖の海底に注目した。黒潮が東シナ海から北上して日本列島の太平洋側に沿って流れ、渦を巻く地点のため、ごみが沈むと考えられた。2019年8、9月、有人潜水調査船「しんかい6500」で調査した。房総半島の約500キロ沖の水深5718~5813メートルの深海底3地点で、1平方キロの範囲を調べ、目に見える大きさのプラごみの個数を数え、一部は回収した。平均4561個で、8割以上が、ポリ袋や食品包装などの使い捨てプラごみだった。過去に深海底のプラごみを調べた国内外の研究では、平均100個に満たないといい、海洋機構の中嶋亮太・副主任研究員は、「房総半島沖の黒潮が渦を巻く場所の深海底は、プラごみの集積地になっていることがわかった」としている。

プラには寿命がない


第12回メルマガ(5月9日配信)個包装という名の過剰包装

最近、2cmほどの小さなビスケットの類(たぐい)までもが、ビスケットの一つずつにプラスチック包装されているお菓子をもらって、唖然としてしまった。ちょっとやり過ぎているぞという思いが深い。そろそろメーカーに文句を言おうではないか。日本は少しやり過ぎているぞと。

 読者の皆さんも、やってみてはどうか。個包装で一杯になっているプラスチックの袋から、個包装を取り除いてみたらどうなるか。なんと個包装を外してみたら、お菓子は、袋のわずか半分以下を占めているだけなのであるのを知る。過剰包装と言わずしてなんと言おう。せめて小分け包装、つまり2個以上の中身をまとめて包装している包装にしませんかと、筆者は言いたい。

 筆者は、5年ほど前、河川清掃に従事したことがある。船の上から3m近い棒の先端に外径32cmの網で、流れてくるごみを拾うという仕事である。東京都環境公社が都からの委託で隅田川など30河川で日曜日を除く毎日行っている仕事である。流れてくるごみのほとんどは、レジ袋やお菓子の個包装等の使い捨てプラスチックである。中には、不法投棄と思われる冷蔵庫や、カラスや猫、犬の死体である。コンクリートの堤防下のわずかな砂浜に降り立ったカラスや猫、犬が、船の波でさらわれて流され、直立のコンクリート堤防に阻(はば)まれ、溺死したものと思われる。洪水時には下水道管に住み着くネズミも大量に流れている。筆者が危惧しているのは、お菓子の個包装である。これらはプラスチックでできているから、拾われない限り、それこそ海の藻屑(もくず)となるものだが、藻屑ならば、自然界で微生物によって分解されるから問題はないが、プラスチックである個包装は厄介である。プラスチックは生物分解を受けず、いつまでも環境中に残り続ける。「プラには寿命がない」と専門家が言うのはこのためである。最近の深海を調査した潜水艦によると、「深海底3地点で、1平方キロの範囲を調べ、目に見える大きさのプラごみの個数を数えた。その平均個数は4561個で、8割以上が、ポリ袋や食品包装などの使い捨てプラごみだった。中には、レジ袋や、1984年製のプラスチックのハンバーグの袋もあったという。過去に深海底のプラごみを調べた国内外の研究では、平均100個に満たないといい、海洋機構の中嶋亮太・副主任研究員は、「房総半島沖の黒潮が渦を巻く場所の深海底は、プラごみの集積地になっていることがわかった」という(2021年4月1日朝日新聞)。1984年製のハンバーグの袋というと、今から37年前のハンバーグの袋である。何の破れ等も、生物による分解を受けることもなく、調査研究のため、ロボットアームで回収された。

 森などに不法投棄されたごみを拾うボランティアをしたことがある。確かに土の中にあるレジ袋等のプラスチックは破れ放題になっている。しかし、研究者によると、海で漂流しているプラごみも含めて、生物による分解を受けているのではなく、紫外線や波、水分等で小さく崩壊しているだけで、プラスチックの粒々は残ったままである。これが5mm以下のプラスチックならば、いわゆる、マイクロプラスチック問題である。NHKスペシャル「2030 未来への分岐点」の2021年2月28日(日)に放送された、「3.プラスチック汚染の脅威 大量消費社会の限界」を見たときは衝撃を受けた。マイクロプラスチックどころか、どんどん崩壊して、ナノプラスチックにまで小さくなり、血液中にまで入り込むまでになっている

 これらお菓子の個包装、中身を取ろうとして破り捨てたプラスチックの破片も含めて、太平洋に流れて行ったらどうなるか。クジラなどが食餌をとる様子を見ると、大きな口を開けて魚の卵や小魚を食べている。その中にレジ袋やプラスチックの個包装が入っていたら大変な迷惑であろう。事実、最近の報道では、「タイの海岸に流れ着いたクジラの胃の中には、なんと80枚を超えるプラスチック袋(レジ袋)が詰まっていた。」という。地球に住んでいるのは人間だけではないのだ。動植物に迷惑をかけていないか、同じ地球に住む生物としての気遣いを持つべきと考える。

なぜ個包装がはやるのか?

 メーカーに聞いたことがある。商品を陳列するときに、立てて陳列し、消費者が選びやすいように、見た目が良くなるようにするために、トレー(プラスチックのお皿)の上に、さらにお菓子の一つ一つをプラスチックで包装して陳列している。このようなことで、プラスチックの個包装のために、1割近く、商品の値段が高くなっているという。

メーカーに個包装を止めてもらうためにはどうしたら良いか?

 これは、消費者が、個包装のお菓子を買わないことである。観光地で買うときも、できるだけ、小分け包装のものを買うようにしたい。机の上に、個包装のお菓子よりも、小分け包装のお菓子をお土産として置いて行ってもらった方が、お土産としては豪華である。

 地面や海洋に散乱、漂流した個包装のプラスチックを拾うのは大変である。生物にも迷惑である。個包装を止めてプラスチックの使用を抑制するためには、個包装に税金をかけるしかないであろう。個包装一つ1円の環境税を提案したい。今回、調査のために購入した「田舎のおかき」は、外袋が6g、トレーが3g、個包装9枚合計5gであった。個包装を止めれば、お菓子に使われるプラスチックが約6割(8/14)も削減されるということを示している。使用済みのプラスチックを回収して焼却等をしている自治体も声を大にして個包装を止めるよう社会に働きかけて欲しい。ごみを処理するだけの役割では悲しいではないか。

お菓子箱を復権しよう!

 個包装を止めると、お菓子が湿気(しけ)てしまう恐れがある。そこで、筆者は、乾燥材シリカゲルを入れた木製のお菓子箱を提案したい。昔はどの家でもお菓子箱があったと思う。それを復権するのだ。メーカーの人がこの文章を読んでいたら、一緒にお菓子箱を作りましょう。知っている人は少ないかもしれないが、乾燥材シリカゲルは、水分を吸って湿気てしまった後も、フライパンで空焚きすれば、何度でも再生する。


第11回メルマガ(4月25日配信)ヨーロッパ7ヶ国22日間の一人旅はどのようにして成し遂げられたか?

 今から20年前、筆者はヨーロッパの旅はおろか、日本でも、北海道、東北、九州の旅にさえ行ったことがなかった。東京で育ち、井戸の中の蛙(かわず)だったが、たまたま、長崎で教師をする機会に恵まれ、九州に赴任して、視野が広がった。しかし、その時も、外国旅行など行ったことがなかった。長崎で、環境問題に目覚め、レジ袋の研究をすることになって、大学院入学のため、6年で関東に戻り、そのまま東京で職を得た。まだインターネットの検索が自由にできない時代で、ヨーロッパでは、イタリアでレジ袋を50枚も飲み込んで死んだクジラが浜辺に打ち上げられた事件をきっかけに、レジ袋の有料化が進んでいるという話を聞いていた。一度、ヨーロッパに調査に行って見たいものだと思っていた矢先、リストラに会い、この際、貯まった700万円の貯金を元手にして、ヨーロッパを見てやろうと決心した。1ヶ月かけて、ヨーロッパ7ヶ国を回る旅を準備した。帰国後、雑誌等にレジ袋の有料化を提唱する記事を寄稿し、去る市民団体から、旅の様子を記事にして欲しいと頼まれた。この連載記事の執筆になんと4年もかかったが、出版の機会もなく、20年が経過した。最近、新聞記事を見て、だれでも、自分の書いたものを電子書籍として出版できるという話を知り、KindleがAMAZONに出している電子書籍の書式に則り、「ヨーロッパ7ヶ国ずっこけ探訪紀-レジ袋の有料化を提唱するきっかけとなったスーパーと水辺を巡る旅-」の題名の本を出版することにした。本稿はその触りである。


ヨーロッパ7ヶ国を、お金をかけずに、いつ、どうやって回るか

 航空券が一番安くなるのは、12月、1月であるが、冬では、観光の楽しみが減るため、1年で2番目に安い秋の11月の航空券を購入した。筆者が旅の準備に使ったのは、「地球の歩き方 ヨーロッパ」と「トーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表」である。

問題となったのは、南のフランスから北に駆け上がるか、北のイギリスから南に駆け下がるか。結局、まずイギリスに飛び、それから飛行機でノルウェーに行き、オスロから船でデンマークに渡り、陸路で、イタリア、スイス、フランスの7ヶ国を巡るルートにした。このルートは正解であった。北から冬支度が始まり、観光客向けの観光船等が止まっていくが、11月はその最後の機会で、ぎりぎりで観光客向けの船に乗ることができたりした。


 ヨーロッパの鉄道の仕組み

ヨーロッパの主要な駅は、「行き止まり」、すなわち線路に車止めがあって、それ以上線路がない。日本でも、小田急電鉄の片瀬江の島駅や、相鉄線の横浜駅などが「行き止まり」駅になっている。映画などでは、暴走列車が車止めに激突して、壁が壊れ、観客や商品が中に舞うシーンなどが出てくるのも、このような車止めがあるからである。このため、車止めがある所では、列車の先頭車両が横に何台も連ねることになる。映画「ハリーポッターと秘密の部屋」で、ハリーポッターが荷物を積んだカートごと9と4分の3番線の壁の中に消える有名なシーンがある。このロンドンのキングクロス駅のシーンでも、先頭車両が数台、頭を連ねるシーンが出てくる。しかも日本とは異なり、改札口もなく、プラットフォームもない。線路のある地面から列車に乗り降りするという感じである。番線も、その時間にならないと正確な番線が分からない。筆者の旅行記で、乗り継ぎの際、どの番線に列車が止まっているのか右往左往する場面が出てくるのもこのためである。トーマスクックの時刻表にも一応、到着番線は出ているがあてにならない。人々は出発時間頃になったら、大型掲示板の前に行き、自分が乗る予定の列車の番線を示す札がパタパタと番号を換えて止まるのを待ち、止まった札の番号を見て、列車の到着番線が何番かを確認してから、列車に向かうのである。


イギリスとイタリアのタクシー運転手のマナーの違い

イタリアのローマ、テルミネ駅で降りてホテルに行こうとしたら、土砂降りの雨で、バックパックの筆者は、駅歩いて5分と書かれているホテルに行くのに、タクシーに乗ったら途中で降ろされた。「そんなホテル分からん」という訳である。地球の歩き方が紹介していたホテルだったが、実はインターネットが専門の店で、副業でドミトリー(相部屋)、すなわち共同で泊まるユースのような安ホテルを提供している店だったのだ。ホテル名が看板に書かれていないのが致命的で、これが原因でタクシーの運ちゃんもお手上げという訳である。しかし、ホテルを探している観光客には冷たい仕草である。降ろされたときは、雨が止んではいたが。その後、筆者は2時間もかけて探す羽目になってしまった。その経緯は、旅行記に詳しい。

 対して、イギリスの場合は様子が違う。イギリスの湖水地方に行こうとして、最終電車に乗ってしまい、オクスン駅に降り立ったのは、夜の11時半。降りた客は3名ほどだったが、駅にはタクシーが待ち受け、見知らぬ客を3名乗せて、ホテルに降ろしてくれた。筆者は、朝食のみ提供している民宿、B&Bだったため、これも探すのが大変だったが、若い運ちゃんは、車から降りて、まだ店を開けているバーに入って行って、客に尋ね、名もない小さな民宿に車を停めてくれた。このように、イタリアとの違いが大きい。イタリアでは、タクシーの運転手は移民が多いが、イギリスでは、タクシーの運転手になるのに、地図や地名についての厳しい資格テストがあり、これに合格しないとタクシーの運転手にはなれない。これらが、車から降りて人に道を尋ねてまで、客の要望に応えてくれるかどうかに関係していると思われる。


フランスのチーズは、食事の最後に食べるデザートなのだ

旅の最後、チーズ専門店でチーズを買い、ホテルで自分だけの宴を開こうとして、チーズの包装を開けたらとんでもない匂いで、思わず、これは腐っていると思い、ごみ箱に放り投げ込んでしまったことがある。後で知ったことだが、筆者が旅の最後に買ったチーズはウォッシュタイプのチーズだった。チーズクラブ(https://www.meg-snow.com/cheeseclub/knowledge/jiten/shurui/wash/ によると、「「ウォッシュタイプ」とは、外皮を塩水や酒で洗いながら熟成させたチーズのこと。チーズの表面についている菌で熟成させるもので、これらの菌は分解力が強く、匂いが強烈なため、熟成中は数日ごとに表面を塩水やワイン、ビール、ブランデーなどその土地の酒で洗います。中は非常にマイルドなチーズですが、匂いが強いものが多いため、通向きのチーズ。」というものだった。旅の後、筆者はフランスに留学したことがあるフランス語が堪能な女性と結婚して、フランスを何度も訪れることになったが、フランスでは、チーズは、食事の最後、デザートとして出されるということが分かった。また、妻から、フランスで買ったチーズを飛行機内に持ち込もうとしたら、飛行場の係員から、「ムッシュ、カバンの中にチーズがありますね?」と聞かれたという。機内に持ち込む場合は、匂いが漏れないよう、完全包装が必要だ。

デザートとして出される場合、皿の上に5種類以上のチーズが客の前に出され、客は好きなチーズを選んでワインと共に食べる習慣になっている。フランスの各家では、客の要望に応えるため、何種類ものチーズを冷蔵庫に保存しているということなのだ。


第10回メルマガ(4月11日配信)夏が来たら思い出す、はるかな尾瀬、遠い空。

夏が来たら思い出す、はるかな尾瀬、遠い空と歌う、童謡・唱歌の「夏の思い出」は筆者のカラオケの定番である。一度は行ってみたい尾瀬、一度はこの目で、湿原で咲く白い可憐なミズバショウを見てみたいものだ。6月には蛍が飛んでいるのを見ることもできる。夏には、黄色いユリ科のニッコウキスゲの群生を見る。秋の紅葉も捨てがたいと言う。空気はひんやりとして清々(すがすが)しい。何しろ、群馬県側に至仏山(しぶつさん2,228m)、福島県側に燧ケ岳(ひうちがたけ2,356m)をはじめとした6つの2千メートル級の山々に囲まれた高層盆地なのだ。尾瀬は、6つの山の樹木が発散するフィトンチッド(リフレッシュ効果を持つ揮発性物質)が醸(かも)し出す森林浴の只中にある。尾瀬国立公園の広さは、優に東西6㎞、南北3km、群馬県、福島県、新潟県の3県にまたがり、その広さは、東京ドーム(0.047 km²)の約400倍である。国立公園ならびに特別天然記念物に指定され、ラムサール条約の登録湿地でもある。

しかし、実は今から70数年前の1948年、尾瀬ヶ原を高さ100mのコンクリートの堤体で区切って貯水量7億2千㎥、発電量230万kwとなる巨大ダム発電計画が何度も公表されていた場所だったのだ。当然ダム反対運動が起こる。この運動の中で、尾瀬の自然を守ろうと、「尾瀬保存期成同盟」がつくられ、これが現在の日本の自然保護を中心になって担う日本自然保護協会となっていく。尾瀬は、日本の自然保護運動の嚆矢(こうし)なのだ。1996年、東京電力(株)が尾瀬ヶ原の水利権を放棄し、ここに世界でも貴重な高層湿原の尾瀬は永久に保全されることになった。実は、尾瀬国立公園全体の約4割、特別保護地区の約7割の土地を所有しているのは、他でもない、東京電力なのだ。我々は、東電の所有地を歩かせてもらっていると言えよう。

ところで、「夏が来たら思い出す」とあるから、ある人が本当に夏に尾瀬に行ったら、既にミズバショウの季節が終わっていた。そこで、作詞した江間章子(えましょうこ)氏に文句を言ったら、江間氏曰く、「尾瀬においてミズバショウが最も見事な5、6月を私は夏とよぶ、それは歳時記の影響だと思う。歳時記には俳句の季語が掲載されており、ミズバショウは夏の季語である。文学上の季節と実際の季節には、少しずれがある。また二十四節気においても夏にあたる。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。ミズバショウの見頃は、5月末から6月なのである。一般に言う夏ではない。梅雨の季節である。詩はさらに、「はるかな尾瀬、遠い空」と歌う。なんだか遠そうだが、実際はどうなのか。

尾瀬へのアクセス

東京・神奈川方面から行くなら、登山口として鳩待峠か大清水の2通りである。登山口が尾瀬沼山峠に出るコースは、浅草駅から出ている東武特急とそれに連携しているバスのみで、それも土・日・祝日のみの運行である。また、尾瀬は、西側に至仏山と尾瀬ヶ原、東側には燧ケ岳と尾瀬沼がある。両方とも制覇するには、1泊では厳しい。従って、至仏山(山開きは7月1日)や尾瀬ヶ原の花畑を見たいなら登山口として鳩待峠を、燧ケ岳を登りたい、尾瀬沼周辺を散策したいなら大清水か尾瀬沼山峠を選択することになる。

1.登山口を鳩待峠とした場合:鳩待峠から尾瀬ヶ原の入り口の山の鼻まで1時間ほど。山の鼻で宿を取れば、すぐにミズバショウが咲く只中に入り込むことができる。

●個人旅行の場合は、東京駅から長野新幹線で高崎まで行き、そこから上越線に乗り換え沼田駅からバスに乗る方がバスの本数が多くて便利である。上越新幹線で上毛(じょうもう)高原駅に行き、そこからバスに乗るコースはバスの本数が少なくて不便である。しかし、バスの時間をうまく合わせれば、乗り換えがない分、1時間近く早く着く。料金は340円高くなるだけである。筆者は、こちらを勧めたい。

以下のコースは、旅行業者が勧めるコース設定である。

●夜行直通バス(朝出発のバスもある):夜11時に池袋を出発して、新宿・横浜駅でも客を乗せて、約6時間半の午前5時半に登山口の鳩待峠に着く。費用は、往復のバス代と山小屋1泊の計約1万8千円ほどである。

●新幹線:往復とも新幹線を利用した場合、東京駅朝8時出発し、9時半前に上毛(じょうもう)高原駅に着く。そこから09:30発の関越交通バスに乗って、尾瀬戸倉に10時56分に到着 (約1時間半、バス代2千500円)、さらに11時10分尾瀬戸倉発のバスに乗って約30分、11時45分に登山口の鳩待峠に着く(バス代1,000円)。東京駅から約4時間弱ほどである。費用は、往復新幹線代と山小屋1泊の計約2万円である。

2.登山口を尾瀬沼山峠や大清水とした場合:尾瀬沼山峠から1時間で尾瀬沼東岸に着き、周辺の山小屋に1泊できる。大清水の場合は、一番近い山小屋がある尾瀬沼東岸まで3時間かかる。

●東武夜行特急(土・日・祝日のみ):浅草23:55発、尾瀬沼山峠に、朝6:10着。バス代込みで往復11,400円(宿泊費は除く)である。東武トップツアーズ(https://tobutoptours.jp/dom/oze/index02.html)で予約するが、ホームページ上では、まだ予約ができない。昨年は8月1日から1015日までの運行だった。

森川海守のお勧めコース

 1泊2日のお勧めの日程としては、登山口の大清水で昼食を取り、それから尾瀬沼まで3時間歩いて沼周辺の山小屋に泊まり、翌日1時間半で尾瀬沼を一周した後、3時間かけて登山口の大清水まで戻り、それから大清水近くの温泉で汗を流した後、そばを食べて帰るコースか、または山小屋から弁当を受け取って、2時間半で燧ケ岳に登り、下りは1時間半かけて尾瀬沼周辺を歩き、3時間かけて大清水に降りてくるコーである。大清水から尾瀬戸倉までの間に、温泉や蕎麦屋が多くあるので、行きのバスに乗っているときに、目ぼしい温泉と蕎麦屋を探しておくことを薦めたい。例えば、大清水からバスで20分ほどの所の尾瀬ぷらり館や尾瀬戸倉温泉で汗を流し、近くの尾瀬かもしか村という蕎麦屋さんでそばを食べて帰るというのがある。なお、一般には、山小屋では予約は不要だが、尾瀬では観光客が多いため、予約なしでは泊まれないことになっているので、早めに予約したい。

 筆者は登山口が好きである。それまで、ビル等の建物や道路があった所から、いきなり緑一色の異世界に入り込む。その異世界への入り口が好きなのだ。但し、尾瀬の場合は、バスが停まる駐車場の鳩待峠でさえ、標高1,590mある。いきなり、猛スピードで駆け登るのは危険という。体が高度に慣れてから山歩きをスタートしたい。なお、尾瀬の場合、多くは木道を歩くので、山登りのような高低差はほとんどなく、歩くのはたやすい。


作詞・中田喜直(よしなお)作曲夏の思い出」

「夏の思い出」江間章子(えましょうこ)作詞・中田喜直(よしなお)作曲

夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空 霧のなかに うかびくる やさしい影 野の小径(こみち)

ミズバショウ(みずばしょう)の花が 咲いている 夢見て咲いている水のほとり 石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる

はるかな尾瀬 遠い空

作詞の経緯

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、「江間は幼少のころ岩手山の近くに住んでいたが、そこはミズバショウの咲く地域だった。そして1944年(昭和19年)、たまたま尾瀬を訪れた。そこで目にしたのが、一面に咲き乱れるミズバショウだったのである。そのときの気持ちを「夢心地」とのちに表現している。戦後すぐの1947年(昭和22年)、NHKから「夢と希望のある歌をお願いします」と依頼された。思い浮かんだのが尾瀬の情景だった。その時の感動を詩にしたのが「夏の思い出」である。

この歌のおかげで尾瀬は有名になったが、ミズバショウの咲くのは5月末であり、尾瀬の春先にあたる。そのため、せっかく夏に来たのにミズバショウを見ることができなかった、という人は多い。江間はその理由を『(夏の思い出)その想いのゆくえ』にて以下のように述べている。

 やはり、地域を有名にしたかったら、作詞・作曲で広めるのが一番いいのではないか。イタリアのヴェスビオ火山の観光でも

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、1880年にヴェスヴィオ山の山頂までの登山鉄道(ケーブルカー、イタリア語では「フニコラーレ(Funicolare)」)の「ヴェズヴィアナ鋼索線」が敷設されたが、当初は利用者が少なかった。本作は運営会社が宣伝曲を作ることを考え、同社の依頼を受けた作曲家のルイージ・デンツァが作曲し、ジャーナリストのジュゼッペ・トゥルコ(イタリア語版)(1846年 - 1907年)が作詞したものであり、世界最古のコマーシャルソングともいわれる。「フニクリ・フニクラ」とは、フニコラーレの愛称である。歌詞はナポリ語で書かれており、内容は、登山鉄道とヴェスヴィオを題材としつつ男性が意中の女性への熱い愛と結婚への思いを歌い上げる、というものである。なお、題材となったフニコラーレは、1944年に起きたヴェスヴィオ山の噴火によって破壊され、運行を終了した。

「フニクリ・フニクラ」

青木爽(そう)・清野協共訳・L.デンツァ作曲・橋本晃一(こういち)編曲

赤い火をふくあの山へ 登ろう 登ろう そこは地獄(じごく)の釜(かま)の中 のぞこう のぞこう

登山電車ができたので 誰でも登れる 流れる煙は招くよ みんなを みんなを

いこう いこう 火の山へ いこう いこう 火の山へ フニクリ フニクラ

フニクリ フニクラ 誰も乗る フニクリ フニクラ いこう いこう 火の山へ

いこう いこう 山の上 フニクリ フニクラ フニクリ フニクラ

誰も乗る フニクリ フニクラ


 尾瀬へのアクセス

お勧めルート TRAVEL ROADから紹介https://www.travelroad.co.jp/oze/

(イ)直通バス

①             尾瀬直通夜行バス☆大清水入山コース 関東・首都圏から近い群馬県入山コース

バスのみ(日帰り): 23:00池袋発→新宿→横浜 5時着、登山口の鳩待峠一人往復8,200円~11,200円

山小屋1泊:23:00池袋発→新宿→横浜 一人往復・宿泊込み16,900円~21,000円

②             尾瀬直通夜行バス☆鳩待峠入山コース

  バスのみ(日帰り): 23:00池袋発→新宿→横浜 5時半着、登山口の鳩待峠 一人往復8,900円~11,700円

山小屋1泊:23:00池袋発→新宿→横浜 一人往復・宿泊込み17,900円~22,000円

③             新宿 朝出発日限定の朝発日帰りバスプラン。鳩待峠まで乗換えなし!一人7,800円~10,300円

お手軽に尾瀬ハイキング!お帰り時入浴付♪

④             東武トップツアーズ(https://tobutoptours.jp/dom/oze/index02.html 

浅草(23:55分出発)→ 尾瀬沼山峠(朝の6:10分着)

  往復ともバス 10,100円

  往復とも、東武特急を利用の場合、11,400円(浅草~尾瀬沼山峠までバス代込み)

「尾瀬夜行23:55」は、東武トップツアーズのHPから予約します。毎週金曜日・土曜日だけの臨時列車で、片道おとな6,000円です。乗車駅は浅草、北千住、新越谷、春日部から選ぶことができます。毎年5月下旬から10月中旬までの期間限定列車。

HP上ではまだ予約できません。

浅草【尾瀬夜行23:55発】北千住【0:10発】新越谷【0:26発】春日部【0:45発】会津高原尾瀬口【3:18着】

(3:50頃まで車中仮眠可)【4:20発】

尾瀬夜行専用バス                 駒ケ岳登山口【5:20着】    尾瀬御池【5:50着】尾瀬沼山峠【6:10着】

(ロ)【往復新幹線】

①東京・上野・大宮出発 尾瀬山小屋(1泊)☆鳩待峠入山コース

ご旅行代金(大人/お一人様)19,400円~21,800円

基本スケジュール

1日目 ※行きの新幹線は下記2便(Maxたにがわ401号・Maxたにがわ403号)のうちどちらかを選択

(Maxたにがわ401号=東京駅6:36発、上野駅6:42発、大宮駅7:02発、上毛高原7:53着)

(Maxたにがわ403号=東京駅8:04発、上野駅8:10発、大宮駅8:30発、上毛高原9:21着)

→マイクロバスまたは路線バス(各自負担)に乗り換え鳩待峠に移動

上毛高原駅 08:10発  関越交通 10:01着 (109分尾瀬戸倉 10:10尾瀬戸倉 → 10:45鳩待峠(35分)

      09:30発 関越交通 10:56着 (109分)尾瀬戸倉 11:10尾瀬戸倉 → 11:45鳩待峠(35分)

===[到着後自由散策、山小屋宿泊]===

宿泊  尾瀬ロッジ(山の鼻)           食事 夕

2日目 食事 朝

===[お帰りまで自由散策]=== →マイクロバスまたは路線バス(各自負担)に乗り換え上毛高原駅に移動

鳩待峠15:03発  (111分) 関越交通 16:54着 尾瀬戸倉 17:15尾瀬戸倉 →沼田駅 → 上毛高原

※お帰りの新幹線は下記2便(Maxとき326号・Maxとき334号)のうちどちらかをお選びください。

(Maxとき326号=上毛高原15:21発、大宮駅16:02着、上野駅16:22着、東京駅16:28着)

(Maxとき334号=上毛高原17:26発、大宮駅18:14着、上野駅18:34着、東京駅18:40着)

 やはり、地域を有名にしたかったら、作詞・作曲で広めるのが一番いいのではないか。イタリアのヴェスビオ火山の観光でも

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、1880年にヴェスヴィオ山の山頂までの登山鉄道(ケーブルカー、イタリア語では「フニコラーレ(Funicolare)」)の「ヴェズヴィアナ鋼索線」が敷設されたが、当初は利用者が少なかった。本作は運営会社が宣伝曲を作ることを考え、同社の依頼を受けた作曲家のルイージ・デンツァが作曲し、ジャーナリストのジュゼッペ・トゥルコ(イタリア語版)(1846年 - 1907年)が作詞したものであり、世界最古のコマーシャルソングともいわれる。「フニクリ・フニクラ」とは、フニコラーレの愛称である。歌詞はナポリ語で書かれており、内容は、登山鉄道とヴェスヴィオを題材としつつ男性が意中の女性への熱い愛と結婚への思いを歌い上げる、というものである。なお、題材となったフニコラーレは、1944年に起きたヴェスヴィオ山の噴火によって破壊され、運行を終了した。

〃             〃             尾瀬沼発電水路工事について「不必要になれば廃棄する」「尾瀬ヶ原には今後一切手をつけない」という口約で許可され、工事が再開される。

1948        昭和23   尾瀬ヶ原を高さ100mの堤体で区切って13万㎢の大貯水池(尾瀬沼の約8倍)とし、貯水量7億2千㎥、発電量230万kwとなる巨大ダム発電計画が発表される。

1949        昭和24   尾瀬ヶ原の貯水池化計画が進行するが、文部省が尾瀬ヶ原の天然記念物指定を検討していたため、計画にストップをかける。

〃             〃             「尾瀬保存期成同盟」(日本自然保護協会の前身)が学者、文化人、登山家を中心としたメンバーにより結成され、請願運動を行う。

〃             〃             尾瀬沼取水ダム堰堤工事が完成する。

1950        昭和25   東京電力(株)が尾瀬ヶ原ダム計画を発表する。

〃             〃             尾瀬沼の水が発電用にナメ沢(片品川の源流)に通水される。

1958        昭和33   奥只見電源開発工事が着工する。

1963        昭和38   東京電力(株)が3たび尾瀬ヶ原発電計画を発表する。

1965        昭和40   福島・新潟両県議会が尾瀬分水反対を決議する。福島・新潟両県知事および両県議会が合同で国会および関係方面に尾瀬分水反対を陳情する。

1966        昭和41   東京電力(株)の水利権と発電計画の10年間の延長(昭和51年3月31日まで)が承認される。

1996        平成8     東京電力(株)が尾瀬ヶ原の水利権期間伸長申請を見送り、水利権を放棄する。


第9回メルマガ(3月28日配信)森川海守の洗剤節約術

 今から30年前、筆者は長崎で社会科教師をしていた。陸上部の監督もしていたが、夏休みは、練習が終われば後は自由時間である。そこで、夏休みは、我々が出したごみや、また排泄物はどのように処理されるのか、疑問に思っていたことを調べる時間として使った。調べ方では、まず必要な本を買い、読んだ後は、処理現場を見に行き、関係者に取材するという形を取った。そうして調べた結果を論文にして学校の紀要に載せた。良くしたもので、夏休みは平日動けるので、自由に取材ができる。こうして、下水道の処理現場、特に処理した後の放流水を海に流す現場を見学したら、驚くべき現場を見て、衝撃を受けたのだ。まず、下水道の最終段階では、処理水に交じっている活性汚泥(微生物の塊)の茶色いふわふわした処理物を沈下させるのだが(沈下した物は再度、下水を処理する現場に運ばれる)、沈下しないまま、塩素で殺菌後、そのまま海に流している現場であった。処理水が流れ込む海を見ると、大量のボラがひしめき合いながら活性汚泥を食べていた。以来、筆者は、ボラが釣れても逃がすようにしている。次なる衝撃シーンは、大量の処理水が泡を伴いながら海へと流れ込んでいる様だった。泡の正体は合成洗剤である。下水処理場では、微生物が下水を分解させるが、合成洗剤は処理できないのだ。実は、合成洗剤は泡が出易い。特に段差があると泡が出やすい。下水道では、放流口と海面との間に段差があるために、泡が出てしまう。そこで、泡が外に広がらないようにと、オイルフェンスの浮きが放流口を囲っている。そういう状態でのボラのひしめき合いなのだ。最後の清流と言われる四国の四万十川(しまんとがわ)で、カヌーに乗って川下りをしたことがある。そこでは、のどが渇けば、川の水を飲めるが、河口まで降りてくると、川岸の淵などに泡が漂っているのを見る。自然の泡も含むが、これは人が洗濯で流した合成洗剤であろう。最後の清流四万十川でさえこうなのだ。これやそれやで、我が家では、合成洗剤は使わない。生協の一つ福祉クラブが届けてくれるシャボン玉石けん(https://www.shabon.com/message/index.html)の自然界で分解できる石けん洗剤を使用している。


合成洗剤(合成界面活性剤)の害

 石けんは天然油脂を原料とし、合成洗剤は石油を原料としている。合成洗剤は洗う力は強いが、生分解するのが難しく、下水道では厄介者である。浄水場でも完全には取り除けず、我々の口の中に入り込んでくる。自然界、川や海では、非意図的に生成されるダイオキシンや製造使用が禁止されてもいまだに自然界に存在している意図的生成物のDDTやPCBが溶け込んでいる。これらは、環境中では難分解で、生物体内に蓄積しやすく、地球上で長距離を移動して、南極・北極でも検出され、環境中に排出されると私達の体に有害な影響を及ぼすおそれがある物質として、26物質が残留性有機汚染物質(POPs:Persistent Organic Pollutants)としてストックホルム(POPs)条約で厳しく規制されているが、これらを川や海に溶け込ませているのは実は難分解性の合成洗剤なのだ。特に厄介なのは直鎖アルキルベンゼンスルフォン酸ナトリウム(LAS)である。洗剤類の製品名を確認したい。害については、例えば横浜市のホームページには以下のような記述がある。「家庭用の洗剤には、陰イオン界面活性剤の一種であるLAS(直鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩)が多く使われています。川や池の水に含まれるLASが魚にどのような影響を与えるか、という点については、これまで多くの研究が行われてきました。その結果、水中のLAS濃度が1リットル中に数ミリグラムに達すると魚は死んでしまうことや、その10分の1ぐらいの濃度で成長が阻害されることがわかってきました。洗濯するときの濃度は、普通、1リットル中に数百ミリグラムぐらいですから、魚が住めるためには100分の1から1000分の1くらいにする必要があります。」https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kasen-gesuido/gesuido/gesuidofaq/suishitsu/013.html


森川海守の食器の洗い方・洗剤節約術

 我が家は、夫婦で役割が決まっていない。手が空いた人が洗濯を担当し、食器を洗い、調理をする。しかし、揚げ物は別である。何を隠そう、筆者は揚げ物が得意で、唐揚げ、てんぷら、コロッケ、春巻きを作る担当なのだ。筆者が食器を洗うときは、一般には洗剤は使わない。水だけで洗う。水こそが洗剤なのだ。水には、じゅっと物に染み込む力が強く汚れを浮き上がらせる。それを、自然素材のヤシの棕櫚(しゅろ)でできたたわしで洗い落とすのである。カレーで汚れた皿や鍋も、ある程度、スプーンや紙等でカレーを落とした後は水に漬け込んでおく。卵を調理したりするときも、卵が鉄鍋にこびりつくが、スチールたわしで無理に洗わず、しばらく水に漬け込んでおく。しばらくすると、カレー部分や卵がこそげ落ちる。そこでたわしで洗うのだ。洗剤は不要である。しかし、豚肉料理をした後は厄介である。たわしに洗剤をつけて無理に洗っても落ちない。べたっと、たわしに油がこびりつく。そういう時は、熱いお湯をたわしと汚れた食器にそそぐといい。油が溶けて、食器、たわしから出てゆき、べたつきがなくなる。その後、石けん洗剤を使えば、きれいに洗える。洗剤を使うのはこの時だけである。お試しあれ。


石けんの歴史

石けんの起源は約1万年前。人間が火を使うようになって、獣肉を焼いて食べることを始めました。その際、獣肉からしたたり落ちる油と木の灰が反応した土が、汚れを落とす土として発見されたのが石けんのはじまりと言われています。

石けんは、天然油脂(もしくは天然油脂が元の脂肪酸)を原料に、「ケン化法」もしくは「中和法」という製法で苛性ソーダ・苛性カリと反応させることにより作られています。

合成洗剤は、第一次世界大戦中、ドイツは石けんの原料である油脂が欠乏し、石けん製造ができなくなりました。そこで開発されたのが、石油を原料とした合成洗剤です。日本では、1937年(昭和12年)に、ウール用中性洗剤として初めて市販されています。その後、第二次世界大戦後にアメリカの石油資本の生産増大、電気洗濯機の普及、アメリカ及びヨーロッパの硬水地区における石けんの欠点(石けんカス)などで、急速に合成洗剤が洗浄剤の主流に代わっていきました。アメリカでは1952年、日本では1963年に、合成洗剤の使用量が石けんの使用量を上回りました。合成洗剤の日本での本格的な歴史は約60年と、まだ短いものです。一方この60年で様々な環境問題や健康被害が取りざたされるようになりました。

合成洗剤の製法

合成洗剤はその製造工程から、大規模な製造施設が必要です。まず石油からアルキルベンゼン・アルファオレフィン・高級アルコールといった合成界面活性剤原料を作ります。それに硫酸化(スルホン化)や中和といった複雑な化学合成を経て合成界面活性剤を作り出します。 さらにビルダー(助剤)などを添加し、合成洗剤を製造しています。

最近では「植物由来」といったふれこみで、天然油脂を原料にした合成洗剤も存在しますが、石油由来の合成洗剤と同様に複雑な化学合成を繰り返し、最終的には自然界には存在しない合成界面活性剤を成分としています。

石けんは、「石けん素地」や「カリ石ケン素地」、もしくは「純石けん分(脂肪酸ナトリウム、脂肪酸カリウム)」という成分でできています。

合成洗剤は化学合成で作られた、合成界面活性剤が成分となります。

合成洗剤の場合は品名に「合成洗剤」と表記があり、石けんの場合は「石けん」と表記があります。


第8回メルマガ(3月14日配信)緊急事態宣言解除後は、各職場で、地方移転が可能かどうか真剣に考えてみようではないか!

2週間延長されて、やっと3月21日で新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が解除されると言う。不謹慎ではあるが、いまの状態ははっきり言って楽である。この状態が続いてくれることを願いたいと思っているのは筆者だけであろうか。何が楽なのか。バスも電車も座れることが多いからだ。座って新聞を読めるのはありがたい。宣言が発出されていないときはどうだったか。ぎゅうぎゅう詰めが多かった。信号故障や、人身事故がでたといっては、電車の中はぎゅうぎゅう詰めである。そういう中で、スマホでゲームをしている奴がいる。操作中はひじがはるので、隣の人は迷惑この上ない。こんな状態を作り出しているのは誰か?まず東京首都圏に人が集まり過ぎていることがある。どこの会社も官庁も、通勤時間が一緒のため、電車が混雑してしまう。時差通勤をこのまま続けて欲しいと願う。また、電車は電車で、2階建てグリーン車があるのだから、全車両を2階建てにすれば、ほとんどの人が座れるようになるのに、JR東日本はなぜそうしないのか。電車に飛び込む者がいるから、後始末にみんなが苦労する。ホームドアを普及させれば飛び込むことができない。なぜもっと普及させないのか。JR等が金儲けだけ求め、通勤通学者の苦労を踏みにじっていると言えるのではないか。JRのトップ、代表取締役社長深澤祐二さんに、通勤ラッシュ時に、通勤電車に乗ってみてはいかがかと言いたい。お宅の電車に乗って、皆がいかほど苦労しているか、身に染みて感じるだろう。お客様は神様ですなんて誰がいったか。少なくとも、JR東日本だけはお客様は神様ですとは思っていないだろう。

緊急事態宣言が発出されてはっきりしたことがある。それは、皆が通勤しなくても、自宅でも仕事ができるという現実である。困ったのは、筆者の職場では、テレワーク用のパソコンが3人に1台しかなく、3週間に1回、2日間のテレワークしかできないことだ。テレワークの時は重いパソコンを担いで自宅と勤め先の新橋まで往復しないと行けない。ノートパソコンも、PCモニター・液晶ディスプレーとキーボードが分離できるような機種を開発してもらい、パソコン本体だけ、職場と自宅を行き来できるようにするとか、セキュリティーを強化したソフトを導入して、職場のパソコンの状態を自宅でも再現できる安全・安心なソフトを開発するとか策を講じて欲しいと願う。

ヤフーニュースを引用しよう。「昨秋、パソナグループが突然、東京にある本社機能の一部を淡路島へと移転すると発表した。約1800人の事務職のうち、約1200人を2024年までに異動させる。「島」という言葉のインパクトが強いため、社員たちが東京の中心部・大手町から絶海の孤島に流されていくという“哀れ”なイメージがSNSで拡散した。しかし、実際に移住したパソナグループ 渡辺尚副社長 執行役員は次のように説明する。「通勤は満員電車に揺られなくて済むから、とても楽。空気はきれいだし、私の家から5分で、海にも天然温泉にも行けます。遊ぶところがたくさんあって、子育てには間違いなく良い環境。家賃は東京の3分の1ですし、食べ物もおいしくて安い。同期入社の社員たちが休日に集まって、釣りに行き、釣った魚のバーベキューを満喫していますよ」“島流し”とは程遠い。まるで、リゾート地で休暇を取りつつ働く「ワーケーション」を実践しているかのようだ。」文化庁も、2022年度京都移転が決まっている。しかし、2019年10月の新聞記事では、安倍内閣が進めてきた中央省庁の地方移転で、結論が出ていなかった消費者庁の徳島県移転が見送られたと言う。この際、どんどん地方に移転してはどうかと提案したい。地方は楽でいい。職住接近で勤め口が近い。筆者は、長崎で6年間、教師をしていたが、学校まではバイクで10分程だし、映画館や釣り場までバスやバイクで30分ほどである。有名な小浜温泉や雲仙温泉までは、長崎駅からバスで1時間少し。首都圏ほど混んでいないので、5月の大型連休中も宿が取れる。人が集まり過ぎている首都圏ではこうはいかない。

 緊急事態宣言発出後にはっきりしたことは、自宅で仕事ができるということである。ということは、官庁も民間会社も、地方に行っても仕事ができるということ。むしろ住み易い地方に出て行くべきであるということである。緊急事態宣言解除後は、地方で仕事ができるかどうか、中央省庁も、民間会社も、真剣に考えようではないか。

 もう一つの提案は、宣言発出後の時差通勤の状況や、テレワークの状況、地方移転の可能性、人々の気持ちなどについて、全職場でアンケート調査を実施して、今後に生かしてはどうかと提案したい。特に率先して中央省庁で実施してはどうか。先の消費者庁の移転の検討では、官僚が抵抗したから実施できなかったというではないか。


第7回メルマガ(2月28日配信)森川海守の節電・節水の秘策

この間見たテレビ「電気代ゼロ円主婦」(2021年2月11日NHK「未来へ17ACTION」)の話がすごかった。2011年の東日本大震災を機に始めた生活である。電力会社にお願いして、電気の送電を切ってもらい、マンションのベランダで、アルミ箔で囲んだ中に太陽熱を呼び込んで、2時間かけて鶏肉と野菜の蒸し煮料理を作ったり、夜は部屋にしつらえた自転車を漕いでダイナモで電気を発電して、読書を楽しんだりしている。しかも、節電装置はすべて自作で作った電気代ゼロの装置の数々。とても筆者には真似できない。そもそも我が家は4階の隅っこにある部屋で日光が届かず、育てたミニトマトは赤い実をつけず、これやそれやで、ベランダ栽培を断念した経緯がある。しかし、読者にお勧めできる誰でも簡単な節電、節水はお伝えできる。


森川海守の節電術

1.           まず契約アンペアを下げることである。

筆者の家では、マンション入居時40Aだったものを、節電のため、30Aに換えてもらった。契約アンペアを下げるには、電力会社に来てらわないといけない。これだけで、主契約料金が1,144円から858円と約300円下がる。使ってみると、風呂を沸かし、エアコンで部屋を温め、電子レンジをつけ、4つ目の電気ポットで湯を沸かし始めた時にブレーカーが落ちて部屋が真っ暗になるという感じである。料金的には、年間で1ヶ月平均約6千円、ガス代が約5千円である。我が家は電気とガスを東京電力に1本化(セット割)しているため、電気ガス合計1万1千円程度である。どれくらい電気料金が安いか。御年82歳になる筆者の姉と比較しよう。姉は、6畳一間に一人暮らし。電気代は年間1ヶ月平均約5千円(1年間の電気代合計を12で割った値)使っている。我が家は3LDK、3部屋で3人家族。姉の電気料金の2倍程度である。読者の皆さんと比較したいものである。


2.スイッチ付のコンセントで、待機電力による電気の無駄をなくす。

要するに、電気機器をコンセントに差し込んだままでも、電力を消費してしまうので、電気機器を使い終わったら、コンセントからコードを抜くことである。しかし、言うは易し、行うのは大変面倒である。特に、コンセントが高い所にあるエアコンのコードを抜くのは面倒である。エアコンは別にして、筆者は節電機能付きのコンセントの一つ一つにスイットとミニライトが付くコンセント(個別スイッチ節電タップ)を勧めたい。普段使う電気機器の電源コードをコンセントに付けたままにして、使うときだけスイッチを押すだけにするのである。これで節電を行うのも易しとなる。トイレのウォシュレットも、直接コードをコンセントに付けず、間にスイッチ付のコンセントを挟んで置き、使うときだけ、スイッチを押す。この方式は、冬は便器のイスが温かくないため、座ると冷たい。実家夫妻には不人気だが、いつも暖い状態に保つのに電気代がかかっているので、節電効果は大である。慣れれば、便器の冷たさは気にならない。


3.照明器具を、白熱灯からLEDライトに換える。

4.消費電力の大きい電機器具を買わない、使わない。

上記3と4は、皆さん実行しておられる家族も多いでしょうから、ここでは説明を省きましょう。


森川海守の節水術

1.風呂水は2日に1回水を新しくする

姉の水道料金は年間平均1ヶ月4,700円、対して3人家族の我が家はわずか5,700円。その差はわずか700円である。その秘密は節水型トイレの採用と、風呂水の交換は2日に1回としたことである。悲鳴を上げる方もおられようが、筆者の独身時代は、風呂水は毎日継ぎ足し継ぎ足しで、風呂の水を新しくするのは1週間に1回だけだった。さすがにこれでは、嫁さんが来てくれないので、結婚後は2日に1回は、水を抜いて、風呂桶を洗い、さらに風呂水を洗濯機に入れて、洗いで使っている。正直に言えば、翌日風呂に入ると、髪の毛や小さなごみが浮いている。できるだけ風呂桶で取り除くようにしているが、3日1回ではさすがに気持ちが悪くなるとしてかみさんから反対されている。


2.トイレの節水

筆者が2年前に工事費込み10万円弱で購入したTOTOの便器タンク一体型ウオッシュレットのパンフレットの説明によると、製品の特徴をなすトルネード洗浄は、従来型洗浄に比べて、年間洗浄水量が7万5,920リットルから2万2,338リットルと約71%の節水となるとうたう(標準洗浄水量、大4.8リットル、小3.6リットル)。いまここで、1リットルの上下水道料金を230円と仮定すると、従来型が年間1万7千537円に対して、節水型トイレは、年間5,160円の費用で済む。これだと、10年で元が取れるという計算となる。我が家では、さらに小便だけではなく、大便も小便器用のスイッチで水を流すようにしているので、節水はさらに進んでいると言える。


3.シャワーの節水

dinos企画商品の税込約6千円の「節水シャワーヘッド」は節水効果約600%とうたう。


4.洗面台の下にある蛇口の調節

洗面台の下には、その上にある水道の蛇口からの水の量を調節できる蛇口が付いている。これをひねって、大量の水が流れ出ないように調節した。


節電、節水の度合いを全国平均と比較すると

どれくらいの節電、節水になっているか。全国平均と比較すると(2020年の総務省の家計調査報告)、二人以上世帯の月平均支出は27万7,926円。そのうちの約8%の2万1,836円が光熱・水道費となっている。この内、電気料金は水道光熱費の約半分を占め、1か月あたり世帯平均では1万671円、ガス代は4,729円、上下水道代5,255円である。

これに対し、我が家では、1か月当たり光熱・水道費は2人以上世帯の半額の1万708円、この内、電気料金は6,365円(全国平均の1/1.7倍)、ガス代5,404円(全国平均の1.1倍)、上下水道代3,566円(全国平均の1/1.5倍)である。ガス代は若干高いものの、概ね2人以上世帯平均よりも半額と、相当節約が進んでいると自画自賛している。


第5回メルマガ(2月7日号外配信)私をスキーに連れてって!

小学1年の時に父親が失踪して以来、筆者は天涯孤独の身だった。施設を出て、高校は、世田谷にある定時制に通っていた。この高校は、当時は、まさか千葉県知事になろうとはついぞ思うはずもなかった現千葉知事の森田健作が「俺は男だ!」の主演を務めていたテレビ番組の収録に使った木造校舎の高校である(とのうわさであった)。それはともかく、高校の世界史を担当していた担任の先生が「スキーに行こう!」と言って、野沢温泉スキー場に連れて行ってくれたのだ。参加者は、当の男性の先生が1人、女性の先生が2人、生徒が10人程である。1部屋に10人程で泊まった民宿だったから安かったのであろう。連れて行ってくれた恩師には感謝である。人生の楽しみの一つを教えて頂いた。この最初のスキーの経験が良くて、以来、よく仲間とスキーに行ったものだ。今から50年前のことであるから、地球温暖化の兆候が微塵も出ていない頃で、雪はたっぷりとあった。

今回のメルマガはスキーの話である。読者がスキーの経験がなかったら、是非、原田知世じゃないが、是非「スキーに連れてって」もらってください。小学3年の息子も是非連れて行きたいが、この新型コロナウイルス騒動が終わらなければ行くに行けない。

スキーは、これまで経験したことがない最高のスポーツであると断言する。スキーの楽しさを知らないのは人生の楽しみの一つを置き去りにするようなものだと言っておきたい。そして、タイトルにあるように、最初のスキーは、「連れて行って」もらわないと、どこへ行けば良いのかから始まって、道具やら、滑り方やらが分からない。そして、最初はスキースクールに入ることが重要である。スキー場ならどこでもスキースクールを開いている。筆者の場合は、上手な仲間がいて、皆に教えてくれた。スクールに行かず、見よう見まねでやると、上手になれないし、下手な覚え方をして危険である。

スキーの良さは、何回滑っても疲れないことだ。力がいらず、ただ体を傾けるだけで滑って来れる。雪の中を倒れるのも楽しい。倒れても痛くないし、口の中に雪が入れば食べてしまえる。野沢温泉の雪質はパウダースノーで、倒れても水分が服に付かない。スケートはこうはいかない。慣れていないだけであろうか。足首が疲れるし、倒れれば痛いし、水分がべちゃっと服に付く。

山からの眺めが良いのもいい。白い雪に覆われた雪景色はロマンチックである。雪の樹林帯の中を滑っていくのは気持ちが良いものだ。この点では、樹氷の中を滑っていく蔵王はことの他良かった。スイスのツエルマットのクライン・マッターホルンスキー場でスキーをした経験があるが、初心者用の長いゲレンデで、先のとんがった山のマッターホルンを仰ぎ見ながらのスキーはお勧めである。

スキーは、夜もナイターで楽しめるのが良い。夜もスポーツを楽しめるのはスキーだけであろう。

野沢温泉スキー場の良さは、スキー場から民宿まで、スキー板に乗って民宿の玄関口まで滑って来れるほど雪がたっぷりとあるのが良い。不自由なスキー靴で、スキー板を担いで宿まで歩くのは大変である。雪が凍っているところはなおさらである。玄関口まで滑って来れるのは便利この上ない。夜は、ホテルや民宿の灯火がほの見える雪景色の山から、雪でちらちら光るブナの樹林帯、霧氷の中を抜けて、光に照らされた雪道を滑って降りてくるのである。爽快この上なしである。

それに温泉である。民宿の隣りが町の温泉場で、便利この上なかった。

ここで、野沢温泉スキー場のINFORMATION (https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r0028s.htm

の広告を紹介しよう。「ドンドン楽しくなる!新しい冬のリゾートへ。標高1,650mの毛無山(けなしやま)山頂から温泉街に向かって3本の尾根沿いに広がる野沢温泉スキー場は、標高差1,086m、ゲレンデ・コースの総面積297haと、その規模、歴史、雪質、眺望など、日本のトップクラスにランクされるビッグなウインターリゾートです。特に人気が高いやまびこゲレンデは、1,000m規模の中級者向けバーン5本で構成され、抜群の雪質や眺望の良さ、ブナの原生林や霧氷などの自然の美しさも大きな魅力です。もう一つの魅力は、温泉です。豊富な湯量を誇る湯の郷には、13ヶ所の外湯があります。アフタースキーはもちろん天然温泉で温泉三昧。一日では遊びきれない充実の白い休日をお約束します。」

 民宿で出された野沢菜も美味しかったと言っておきたい。

野沢温泉スキー場へのアクセス:往復1万8千円、片道2時間半でスキー場のゲレンデに到着

東京駅→新幹線はくたか(1時間50分:自由席8,250円)→飯山温泉駅→村内直通バス:野沢温泉ライナー(25分:600円)→野沢温泉村内→無料シャトルバス(15分)→スキー場

バスならば、新宿から往復1万1千円、片道7時間半かかる。

蔵王温泉スキー場:東京駅から往復2万2千円、片道約3時間半。

東京駅→新幹線(3時間:自由席1万1千円)→山形駅→(37分:1千円)→蔵王温泉バスターミナル

バスならば、新宿から往復1万1千円、片道7時間半かかる。

スキー場での注意事項

スキー場の山の頂上から降りてくるときは、コースに注意しよう。降りる道を間違えると麓で大変な距離を歩くことになる。蔵王での筆者の経験だ。ツエルマットのクライン・マッターホルンスキー場なら、スイスからゴンドラに乗って、山から滑り降りた先がイタリアということも在り得る。

スキー場の環境問題

やはり大規模に山の木を切って草地を作れば、自然破壊になるし、保水力が低下して、麓に洪水をもたらす。ほどほどの規模のスキー場を良しとしよう。

企業の人へ!アイデアの提案

 スキーに関しては、楽しみたくても1人で行くのは大変である。バス会社や鉄道、旅行会社、スキー場経営者は、一人でもスキーに行けるよう、宿の手配、スキーウエアやスキー板、スキースクールの手配の他に、彼女・彼氏を探せるツアーを作ったらどうか。私をスキーに連れてってではなく、婚活、あなたをスキーに連れて行ってあげようキャンペーンを提案したい。


第4回メルマガ(1月24日配信)長崎に6年間住んだ人が言う。長崎は、港からの夜景も捨てがたい

長崎県長崎市の稲佐山からの夜景は、日本三大夜景の一つに数えられている。残り二つは、北海道函館市の函館山からの夜景、兵庫県神戸市の摩耶山掬星台(まやさん・きくせいだい:摩耶山の山頂近くにある展望広場)からの夜景であるが、筆者は、稲佐山からの夜景よりも、港からの夜景も捨てがたいと言いたい。

 長崎には今から30年前に東京から赴任してきた。ある日の夕方、坂の上から夜景が見えたので、坂の下に降りて行って、ここが底だろうと思ったら、まだその眼下に夜景が見えてたまげてしまったことがある。長崎市の中心部は三方を山に囲まれてすり鉢状になっており、住宅地の多くは山の斜面を利用している。そのため「階段の街」「坂の街」として有名である。坂が多いため自転車に乗る人は少なく、学校の運動場はどこの学校も狭い。

 このように、長崎市の町が山に囲まれてすり鉢状になり、建物の多くが斜面に建っているために、すり鉢の一番底の港から上を見上げると、まるで自分が舞台に立っていて、観客がホテル等の建物という塩梅になっている。真っ暗な舞台の中で、ただ一人、照明を浴びた俳優がいまこれから口上を述べようとしているそんな雰囲気が味わえるのだ。さらに面白い趣向は、その舞台に、躍り出ようとしている雰囲気が味わえるのが、長崎本線旧線(長与経由)の古びた電車の中である。このルートは、地元の人も、観光客も意図して乗らないとこの雰囲気は味わえない。一般の電車は、近道の別ルートを通る。このルートは、諫早から西諫早→喜々津→東園→大草→本川内→長与→高田→道の尾→西浦上→浦上→長崎に至るルートである。特に東園駅から大草駅に至るルートは、右側を海にして、弓状に、海岸すれすれに走っているために、海の眺めが素晴らしい。波静かな大村湾であるからできた鉄道ルートである。夕焼けは捨て難いというが、夜もお勧めである。電車の座席と座席の間の通路に立って先頭車両の方向を見ると、長崎市駅前の夜景が見え、まるで観客席だけが光り輝く、真っ暗な舞台に、今まさに、舞台袖からせりふを述べようと進み行く俳優の雰囲気が味わえるのだ。是非、長崎本線旧線に乗るよう勧める。桜が咲く季節も捨てがたい。30年前のJRのポスターは、海を背後に駅舎の脇の桜が咲く東園駅(又は大草駅)の写真を使っていたが、東園駅だったか、大草駅だったか、30年前のことゆえ、インターネット検索ではヒットしなかった。ご存知の読者はお教えいただければ幸いです。ポスターの写真が手に入れば有り難い。

 なお、この東園駅から大草駅に至るルートは、今をときめく福山雅治の「道標」の歌詞のなかで、「私はこの海が好きです。この弓形に続く線路の あなたが育った海にくると後悔が軽くなる気がして」と歌われていることでも有名である。


角煮饅頭(まんじゅう)は長崎名物

長崎ちゃんぽんと言えば、長崎の友人達は、美味しいと思う行きつけの中華料理店に連れていくが、やはり、旅行雑誌に必ず出ている大浦天主堂近くにある「四海楼」は、抜きんでて美味しいと筆者は思う。長崎ちゃんぽん、皿うどん発祥の店であるが、観光客が行くところと心得、地元の人は行かないかもしれないが、野菜等の具が多く、一杯食べれば堪能する。5階建ての店で、一人でも予約なしで入れる。

角煮饅頭も、地元の人は長崎名物になっていることを知らない人が多いが、長崎空港に行けば、もちもちの白いパンに挟まれた、角煮饅頭がお土産として売られている。筆者は、平和公園近くの4階建ての建物の中華菜館 宝来軒 別館で食べて以来、この角煮饅頭(2個で1,000円)を人に勧めている。コラーゲンたっぷりの甘辛煮の豚の角煮を、もちもちの白いパンで挟んで食べるので、角煮単独で食べるよりも、ギトギトしていなくて食べやすい。是非賞味あれ。なお、長崎中華街に行っても扱っていない店もあるので、要注意。インターネット検索では、「角煮まん」の始まりは、長崎の「岩崎本舗」。グラバー園やアミュプラザ、西浜町に店舗を構えていると宣伝しているし、長崎中華本舗のホームページでは、「長崎の卓袱(しっぽく)料理ではぐくまれた伝統の味 角煮(東坡煮(とうばに)、コラーゲンたっぷりの豚の三枚肉を漢方の香辛料を加えた独自のスープでじっくり煮込みました。その角煮をオリジナルのふっくらとした生地で包みました。お口の中でトロ~リとろける当店自慢の逸品です。」と紹介している。

最後に、往復航空券は、東京(羽田)長崎で4万円前後である。乗ってわずか1時間半程度。着陸時は、海の中に落ちて行く感じのする長崎空港もスリルがあって良く、長崎観光を勧めたい。



卓袱料理とは、中国料理や西欧料理が日本化した宴会料理の一種。長崎市を発祥の地とし、大皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで味わう形式をもつ。和食、中華、洋食の要素が互いに交じり合っていることから、和華蘭料理とも評される。日本料理で用いられている膳ではなく、テーブルに料理を乗せて食事を行う点に特徴がある。


中華街によくある「角煮まん」と聞くとイメージできるアレ。実は、長崎の郷土料理である東坡煮(豚の角煮)をアレンジしてできたと言われています。柔らかく口の中でホロっととろける角煮の食感、じっくりと煮込まれた甘めの醤油ダレ、もっちりとしたまんじゅうに挟まれた食べ歩きグルメです。


「角煮まん」の始まりは、長崎の「岩崎本舗」。グラバー園やアミュプラザ、西浜町に店舗を構え、各地の物産展などでも大人気。また食べ歩きだけでなく、お土産にもおすすめです。

今では全国で知られている「長崎ちゃんぽん」は、豚肉や魚介類を使用したコクのある白濁スープにたっぷりの野菜を具とした麺料理のこと。中華料理店「四海楼」の陳平順が、栄養価の高い食事を提供するため福建省で食べていたものを日本風にアレンジしたことが始まりと言われています。



第3回メルマガ 長崎に6年間住んだ者が言う!長崎は釣り天国だった。

 筆者は、30代後半から40代にかけて、縁があって、6年間、長崎で社会科教師をしていた。結婚相手を見つける時期であったが、釣りにのめりこんでしまった。陸上部の監督もしていて余りにも休みがないために、息抜きを必要としていたのだ。教師は大変な仕事で、勤務時間に授業準備が終わるわけがなく、準備は自宅に持ち帰ってやらざるを得ない。余りにも立て込んで、準備ができず、ふて寝を決め込んで休んでしまったことは、1年の内、1、2回はあったほどである。

 さて、なぜ釣りにのめりこんでしまったのかである。子供の頃から、釣りは好きで、東京に住んでいるときは、たまに釣りに行く程度であったが、長崎時代は、毎週のように行っていた。期末テストのために、陸上部が休みになると、それ行けという感じで、バイクにまたがり、自宅の玄関にいつもすぐに出かけられるようにと用意している釣り道具を担いで釣り場まで行ったものだ。長崎はこじんまりとした町で、職場も、映画も、食事も、釣り場もバイクで30分もしない所にある。職住接近の町なのだ。

 そんなある日、大村湾の南西の端にある堂崎の鼻という釣り場を見つけた。ウイキペディアによると、「大村湾は、南北約26 km、東西約11 km、面積約321 km2の海域で、西側を西彼杵(にしそのぎ)半島、南側を琴の尾岳山麓、東側を多良岳山麓に囲まれ、さらに湾口をハウステンボスのある針尾島が塞ぐ。佐世保湾との繋がりは針尾島西岸の針尾瀬戸(伊ノ浦瀬戸)と東岸の早岐瀬戸だけで、極めて閉鎖的な海域」であるためか、栄養塩が多く、ナマコが良く育ち、中国に輸出される程である。古代から生き続けている生きる化石のカブトガニが生息する海域でもある。

 堂崎の鼻については、長崎県西彼杵郡(にしそのぎぐん)長与町の観光案内が詳しい。それによると、堂崎の鼻は、「大村湾に突き出た、町の最北端の「堂崎鼻」、「次代に残そう長崎百景」に選定された波静かな大村湾に突き出たリアス式海岸で、ゴツゴツした岩肌と青い海とのコントラストが美しい観光スポットです。大村湾が一望できるほか、ナイフ型・台型石器などが出土した旧石器時代の遺跡「堂崎遺跡」もあります。」

 行って見ると、既に3、4人の釣り人が盛んに竿を曲げて手のひらよりも若干大きめのクロダイ(長崎ではメイタと呼んでいる。大きいものは、チヌと言う)を取り込んでいる。筆者もその隣りで、邪魔にならないようにと竿を出してみるも、何の反応もない。その日からである。なぜ釣れないのか。探求心に火が付いた。本を買い漁り、色々調べて研究を重ねてやっと1年経って釣れるようになった。つまり、釣れるまで1年もかかってしまったのだ。以来、時間が空けば、毎週のように釣りに出かけるようになった。

良くしたもので、釣りは飽きない。春は、大村湾で30から40cm級の大型のサヨリが入れ食いで釣れる。クロダイの乗っ込み(卵を産む)の時期でもあり、大型のクロダイ、チヌが釣れる。夏は、外海に面したところでアジが入れ食いで釣れる。サバ、イワシ、クロダイ、タイ、タイの外道でアナゴも釣れる。岩場では、味噌汁が美味しいカサゴや、夜釣りではメバルが釣れる。浅場では、川釣りで使う竿で、アイナメが釣れる。冬は、なんと、神の島でヤリイカが釣れるのだ。ことほど、種類も多く、釣り方も様々で飽きない。

川では、バスや電車で30分程度の多良岳の麓の中山キャンプ場の近くの川では、ヤマメ等の、関東だったら相当遠方の山の奥地で釣れる魚が入れ食いで釣れる。長崎の隣りの諫早市を流れる本明川でも釣りをしたことがあるが、30cm級のオイカワ(ハヤ)が、海の餌のオキアミで釣れたことがある。釣り人口が少なく、釣り圧力が弱いため、釣り人にとっては、長崎は釣り天国である。

大ファンである開高健は「オーパ」(集英社文庫)の中で、中国の諺として下記の詩を紹介している。

一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。

三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。

八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。

永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。

 釣りは奥が深く、若いうちに覚えて人生を楽しんで欲しいと思う。人間には、レジャーが必要だ。


ここでは、読者の皆さんに、釣るためのコツをお教えしましょう。筆者直伝のコツですぞ。

1.まず、魚が釣れるポイントがあるということだ。ポイントが1mもずれただけで釣れなくなる。クロダイが入れ食いで釣れる場所を、夏に潜ってみた。そこは、海藻が生える岩場に取り囲まれていて、クロダイが群れていた。

2.釣れるタナがある。餌を魚の口元に届けないと、釣れるわけがない。概ね、底である。そのため、針に重しを付けて、ウキが立つところでタナ、つまりウキの場所を決める。ただ、魚によっては、釣れるタナが異なる。クロダイやメジナは、コマセ(寄せ餌)を撒くことでひとひろ(両手を広げた長さ)のウキ下(針からウキまでの長さ)になるし、サヨリだと、その半分ほどのウキ下である。

3.釣れる時間がある。魚も人間と同様に食べる時間がある。闇雲に食べているわけではないのだ。概ね朝まずめ(朝焼け前後)と夕まずめ(夕焼け前後)がお魚さんのベストタイムである。また、潮の満ち引きも関係している。魚も省エネで泳ぐ体力を温存するためか、潮が満ちる流れに乗って、餌の豊富な岸辺により、潮が引いてくれば、その流れに乗って、沖に向かっている。すなわち、魚は満潮前後が釣れ、干潮の時間帯は全く釣れない。長崎在住時、アジが大量に釣れたことがあり、友人を誘って、夜釣りに行ってみると全く釣れない。なぜだろうと調べてみたら、丁度、干潮の時間帯で、魚が沖に行っていなかったのだ。

4.だたっ広い海では、寄せ餌(え)、いわゆるコマセが必要だ。

5.さあ、ウキが下がったと言って、合わせをくれても(手首を上にひねって針がひっかかるようにすること)釣れないことが多い。川ではこれで良いが、クロダイの場合は、1、2、3と言ってから合わせをくれるのが良い。海では、魚は用心深く、一旦口に加えて、安全かどうかを見てから餌を飲み込むために、すぐに合わせをくれても釣れないことが多い。しかし、川釣りの場合は、水の流れがあって、飲み込んだものを吐き出すという悠長な動作はできっこない。流れがある川釣りの場合は、ウキが沈んだら、すぐに合わせをくれないと針がかりしない。


環境問題等から釣りを見ると、まず魚も釣りで痛がっているのではないかという論争が昔からある。踊り食いや生き造りは残酷ではないか。キャッチエンドリリースというスポーツフィッシングについても魚にとっては残酷なのではないかという論争がある。とは言っても、釣りには、昔から人類が行なってきた狩りをするという本能があり、なかなか止められない。筆者は、針は返しのない釣り針を使い、釣ったらすぐに絞めて魚の苦痛を止める、外道が釣れたらリリースする、リリースするときも丁寧に扱う、釣った魚は持ち帰って食べる、遊びだけの釣りはしないというルールを守るようにしている。また、釣り場が、釣り人が残したごみで汚れていることが多い。帰り際、他人の分も含めてごみを持ち帰って処分するようにしている。そうすれば、次の釣り人も気持ちよく釣りができるというものだ。釣り糸も、生分解できるものに換えたいものだ。タイでは投げ釣りが禁止されていると聞く。海底で岩場に引っかかれば、生分解できない長いプラスチックの糸が残される可能性が大だからであろう。日本でも検討する余地がある。


関東近辺では川や海岸・堤防で釣れないことが多い。しかもほとんどの川で遊漁料を取る。これは、漁業組合が養殖した鮎等の魚を川に流すからである。しかし、大勢の釣り人がやってきて釣りつくし、その後には全く釣れなくなる。漁業組合は、養殖した魚を流すとき以外は、無料にすべきだ。これでは、釣りを楽しめない。これに反し、漁業組合がない北海道では遊漁料を取らないのがうれしい。

関東近辺で筆者が薦めるのは、真鶴半島である。真鶴では、港でも岩場からも手のひら大のメジナが入れ食いで釣れる。なぜ釣れるのか。筆者は、真鶴半島の森がミネラルを運んでくるためと考えている。横浜の本牧等の海釣り公園に行ったことがあるが、満潮だというのに全く反応がない。係の人に聞いてみると、釣るための場所は作ったが、魚が寄ってくる、魚が居ついてくれる藻が生えるようにした岩場を作るとかといったことを全く整備していないという。これでは釣れない訳だ。


森川海守からの提案

釣りが楽しめる川、海岸を整備して欲しいと願う。それは、足場の良い所を作って欲しいということではなく、魚が居つく、魚が寄ってくる釣り場を整備して欲しいのだ。上流にダムや堰があれば、森のミネラルが流れてこないので魚は居つかない。関東では、川の上流から、ダムや堰を取り外して自然の川に戻し、魚釣りが楽しめる川を、どこか1ヶ所でもいいから造って欲しいと願う。


カサゴやメバルの釣り方

ウキなしのフカセ釣りで、重りと針だけで釣れる。堤防や岩場では、川釣り用の竿で釣りが可能で、初心者向け。夜釣りでは、糸を通してゴツゴツという感触が手元に伝わり、醍醐味がある。

サヨリの釣り方

メジナと同じような仕掛けであるが、ウキは5cm程度の小さなウキを使う。ウキ下は一ヒロの半分程度。コマセで魚を集めて小さいオキアミを餌にして釣る。30cm以上のサヨリが釣れるので醍醐味がある。釣り場としては、堂崎の鼻を推薦したい。

イカの釣り方 

冬に卵を岩場に産み付けるために岸部の岩場にやってくる。長崎駅からバスで30分程度の神の島の四郎ヶ島とその橋辺りで釣れる。近くに加山雄三の父の上原謙さんが結婚式を挙げた所として有名なカトリック神ノ島教会がある。船からも白亜の教会が見える。

夜になると、釣り人があちこちで電灯を灯し、イカを誘っている。地元の人は、夕方やってきて、一杯釣ってはすぐに帰っていく。夕食に食べるためであろうか。堤防や橋の上からもイカが泳ぐのが見える。

イカが刺さるようにした剣山のような針の上に、鳥のササミを針金で巻き付け、その上に光るウキを付ける。概ね底にいるので、底に届くように仕掛ける。釣れると、光るウキが海中でぼやけ、それ!と合わせると重い感触が伝わってくる。糸を巻くとプシュープシューと墨を吐きながら寄ってきて、よいしょと竿を持ち上げると、どさんと地面に落ちる醍醐味がたまらない。舟釣りと違って、糸を巻く間に墨をすべて吐いてしまうので、墨対策は不要である。

 その他、神ノ島では、春に、寿司だねの一つの大型のコノシロが良く釣れた。



海岸景観

西彼杵郡長与町嬉里郷659-1

TEL 095-883-1111

アクセス                 ・長与駅から車で40分

・JR長崎駅バス堂崎(多良見大浦)方面行き「堂崎」バス停から徒歩5分


第2回メルマガ 朝日のセンセーショナルな記事が、蒲島知事をダム開発に追い込んだ 

11年前に、熊本県の蒲島郁夫知事は川辺川ダム中止を表明していた。しかし、今回の7月の豪雨で記録的な被害に直面した後の、10月6日に開かれた「令和2年7月球磨川豪雨検証委員会」での国交省九州地方整備局の「ダムがあれば浸水面積を6割減らすことができた」とする説明を受けてから、わずか1ヶ月半弱の11月21日には、知事と国土交通省の赤羽一嘉国交相との会談で、「貯留型」ダムを造る国の川辺川ダム計画を廃止したうえで、川の水を流しながら洪水時だけ水をためる流水型ダムを建設するよう国に求めたと言う。


このように、10月6日からわずか1ヶ月弱で、11年前のダム中止表明を翻(ひるがえ)すことになった背景には、10月6日開催「令和2年7月球磨川豪雨検証委員会」での国交省九州地方整備局の説明についての10月7日の朝日新聞等の記事が関係していると筆者は考える。10月6日の記事は以下のように伝えている。

川辺川ダムで「人吉など浸水面積6割減」 知事「議論の中心に」熊本豪雨で国推計

熊本県南部を中心とした7月の記録的豪雨で氾濫(はんらん)した球磨(くま)川の治水対策を巡り、国土交通省九州地方整備局(九地整)は10月6日、11年前に計画が中止された川辺川ダムが仮に建設されていた場合、人吉市中心部と隣の球磨村の一部の浸水面積を6割程度減少できたなどとする推計結果を公表した(以下のURL)。

 九地整によると、川辺川ダムが存在した場合、人吉市中心部での球磨川の最大流量約7,400トン(毎秒)を同約4,800トンまで約35%削減でき、市中心部と球磨村渡地区の浸水面積568.6ヘクタールを約6割減らすことができたとした。家屋の2階までの浸水が想定される深さ3メートルの範囲は同地域で約9割減少できたとも推計。水位は人吉市市街地で約1.9メートル、球磨村渡地区で約1.7メートル、八代市坂本地区で約1.2メートル低下させる効果があったとした。

九地整は、ダム計画中止後に検討されてきたダム以外の治水策の効果も報告。遊水地の設置を中心に河道掘削などを組み合わせた対策では、人吉市中心部で最大流量を約25%削減できたと推計。工期は50年以上かかるとした。ダムの工期は言及しなかった。

(伊藤秀樹、竹野内崇宏)


ダム反対に立つ筆者から見ると、この記事はダムの効用ばかりを伝え、氾濫地区からの撤退や遊水地建設等のダム以外の効用をほとんど伝えていない。ダム賛成派に有利な記事になっていると指摘したい。

 朝日新聞記事による、国土交通省の説明の要点は、ダムがあれば、人吉市中心部での球磨川の最大流量約7,400トン(毎秒)を同約4,800トンまで約35%削減でき、市中心部と球磨村渡地区の浸水面積568.6ヘクタールを約6割減らすことができたとし、ダム以外の遊水地等で25%削減できるとしている。しかし、ダム以外の遊水地等の対策では、浸水面積をどのくらい減らせたかを示していない。下記は、国土交通省の推計結果をまとめたものである。



人吉区間の浸水範囲の低減効果

川辺川ダム:第1期(6/11~9/15)   約6割低減         

     :第2期(9/16~10/15)   約4割低減

遊水地等の対策を組み合わせた対策   約4割低減

放水路等の対策を組み合わせた対策   約6割低減

出典:国交省九州地方整備局第2回「球磨川豪雨検証委員会」

4.「球磨川治水対策協議会」での治水対策の効果について


つまり、ダム以外の遊水地等の対策では、浸水面積を4割(4.3割)も減らせることができるのだ。放水路等の対策ならば、ダムと同じ6割の低減効果がある。朝日新聞記事では、ここの説明がカットされている。

もう一つ重要な点は、利水容量が大きくなる第2期(9月16日から10月15日)ならば、人吉区間の浸水範囲の低減効果は4割と、ダム以外の遊水地等の政策と同程度となる。そこのところを報道せず、国土交通省の言うまま、「ダムを造れば浸水面積を6割減らせる」というダムの効果を過大に宣伝する結果となってしまっている。台風シーズンは8~9月である。そこを外して、今回はたまたま7月に豪雨がきたから、9月16日以降の期間の推計結果を外して6割減らせるとした国土交通省の説明をうのみにしてダムの効果をセンセーショナルな記事にした結果が、世論をダム容認に傾かせた原因ではないか。筆者ならば、新聞のタイトルを、「川辺川ダムで人吉など浸水面積6割減、ダム以外の遊水地や氾濫区域からの撤退で4割減」とするだろう。新聞だから、センセーショナルな記事が人々に受けが良い。この朝日新聞等の記事のお陰で、国土交通省は内心、にんまりしているのではないか。ダム開発が承認されたのだから。


おまけにダムの工期は言わず、ダム以外なら、工期は50年以上かかるとしている。

なに、浸水被害地から安全な所への撤退なら、住民との話し合いで2年から3年、家を建て替えるのに1年、併せても5年もかからないだろう。

ダムの建設なら、環境アセスメントに4~5年、ダム本体建設に10~20年はかかる。20年以上待たないと、豪雨に備えられないのだ。地球温暖化の影響もあって、今回の100年に一度の豪雨が、10年に一度の災害になってしまうかもしれず、ダム建設を待っていては、また人命が失われることは必至。ダムによらない対策を真剣に追及し、直ちに実行に移さなくてはいけない。国土交通省は、ダムによらない対策を、省を挙げて取り組むべきだ。「洪水を河道から計画的にあふれさせて制御する流域治水(下記参照)」の考え方も、この流れに伴うものだろう。

 

国土交通省、熊本県蒲島知事に問いたい。ハザードマップを作るのは当然として、浸水被害が起こりそうな川のそばに住む人々を、なぜ安全な場所に移転させなかったのか。特に高齢者の住む家や老人ホーム等を、川から遠い所、非難しやすい場所に移転させてきたのか。洪水等が起こりそうな時の避難の呼びかけや、避難経路の周知徹底、避難場所の整備等はしてきたのか。浸水被害想定地域に、多摩川等で行われているピロティ構造のビル等を整備してきたのか。町のそこかしこに、遊水地を整備してきたのかと。ダムの中止を表明後はただ協議会で話し合うだけで終わり、今回の洪水に備えられる対策を実行に移してきたのかと問いたい。国土交通省も熊本県等の自治体からは、60名の人命が失われたことの反省の弁が聞こえてこない。

 

の平川記者の「住民への避難の呼びかけなど当時の関係機関の対応に問題がなかったのか十分に検証しないまま、ダムの効果ばかり強調する国や県などの姿勢には疑問を禁じ得ない。」には大いに賛成だ。


 そうして筆者は主張したい。まず、この度の洪水がなぜ起こったのか、なぜ人命が失われたのかを問われなければならないのに、なぜダムの話しが出てくるのかと。洪水が起こったのは、球磨川が氾濫したのは、堤防が破堤したからではないのか。国土交通省の責任が全く問われていないのは考えものだ。また、人命が失われたのは、速やかな非難を呼び掛ける自治体の政策が災いしているのではないのか。最近の新聞記事によると、蒲島知事に対して、「ダムがないから人命が失われたのだ、ダムを造れ」と、球磨川流域12市町村の首長が嘆願したという。特に錦町の森本完一町長は流域市町村の会合で、「ダムがあったら(被害)を完全に防げたのではないか(引用は、朝日新聞記事)」と語気を強めたという。この発言に対しては、国交省でも断言している。ダムを造っても、100%被害を防げない。浸水被害でさえ、やっと6割程度と言っているのだ。


 筆者は、この度の洪水に備える対策を提案したい。

この7月より、国土交通省は、流域治水という言葉を使うようになってきた。国土交通省の説明によると、そのイメージは、

○ 気候変動の影響や社会状況の変化などを踏まえ、河川の流域のあらゆる関係者が協働して流域全体で行う治水対策、

○ 治水計画を「気候変動による降雨量の増加などを考慮したもの」に見直し、集水域と河川区域のみならず、氾濫域も含めて一つの流域として捉え、地域の特性に応じ、①氾濫をできるだけ防ぐ対策、②被害対象を減少させるための対策、③被害の軽減・早期復旧・復興のための対策をハード・ソフト一体で多層的に進める。としている。  この説明のなかで、ほとんど説明されていないことは、森の、山の保水力についてである。国交省の説明資料の中の写真を見ると、ダムに貯まった杉と思しき丸太が堰き止められ、ダムのおかげで下流に流れ出る丸太による洪水被害を軽減できたと、写真の説明が書かれていたが、これは、山に人工の杉が植えられ、そのため、山の保水力が落ち、山に降った雨が、一気に川に流れ込んで最大ピーク流量(ある洪水における最大流量)を増やし、これが洪水の原因の一つになっているのではないかと筆者は考える。広葉樹林と比べると、杉は根の張りが弱く、水を貯える力が弱いことが知られている。洪水防止で大事なのは、「最大ピーク流量」をいかに減らすかだ。降った雨が、一気に川に流れ込めば、川を流れる流量が一気に増えて、破堤を招こう。農水省と相談し、杉に換えて広葉樹林を植林するよう提言したい。

 また、全国どこでも、山の中でも、水のはけを良くしようと、コンクリートの水路、排水路が造られている。これが張り巡らされると、山の保水力が落ち、ピーク流量が増える原因になる。国土交通省の流域治水についての説明にも掲載されるようになった浸水路面や雨水浸透升(ます)のような施設を、コンクリート水路に換えて設置して欲しい。


第2堤防、第3堤防を造って浸水被害が拡大するのを防ごう

 今ある堤防の外側に二重の堤防を造り、浸水面積が広がらないようにしたい。いわゆる二線堤と呼ばれる堤防である。専門用語では、堤防と堤防の間の、水が流れる所が堤外地、住居がある所が堤内地で、堤内地側に堤防をもう一つ、あるいはもう二つ造るというアイデアである。長良川や木曽川等で昔から行われている輪中(わじゅう)提がこれに当たる。ダムを造って自然を破壊する前に、まず二線提を整備するのが先ではないか。第2、第3の堤防を造れば、浸水面積の拡大を防げる。

 また、輪中提の中にある住居を見学したことがあるが、家々が洪水に備えてボートを備えていた。川辺川はどうであったろうか。令和2年7月豪雨の前にも、今から55年前の昭和40年7月にも洪水が起こっている。洪水常習氾濫地区に住む人達の洪水に備える準備は整っていたのかと問いたい。


洪水常習氾濫地区からの立ち退き

 もう一つ、自然破壊のダムを造る前に洪水常習氾濫地区に住む人達を川から立ち退かせることが重要だ。川のすぐそばに住居を建てるというのはどう考えたら良いのだろうか。まず川の水が運んでくる土砂で自然に積みあがった自然堤防を壊して住んでいる。これは自然を破壊し、自然の景観を壊している。その上に、洪水が来る恐れがあるとして、税金を使って、家の前に強靭な堤防を造らせている。洪水は必ず来るものと考え、法律を作って、氾濫地区から立ち退かせ、自然の河川に戻すことが必要だ。人吉地区でこれを実行すれば、眺めが良くなって、川下りの観光客が大喜びすること必至である。川そのものも、洪水が来ることにより、土砂やごみや繁茂する植物等の不要物を流し去ることで、生命にとって洪水は恵みの雨に匹敵すると言われる。洪水は数十年に一度は来るものと考え、そ れをダムによって排斥するのではなく、受け入れることが必要だ。この度の洪水では、国土交通省の専門家でさえもお手上げと言っているのだ。


道路を洪水の水を流す放水路として使おう

球磨川放水路案が、球磨川治水協議会で議論されていた。この案は、水路を新たに造ろうという提案である。国土交通省によれば、ダムに匹敵する効果がある。これに対して、費用が掛かる水路を新たに造るよりも、今ある道路を使って、洪水の溢れた水を流せるようにしたらどうかと提言したい。水は上手から下手に流れていく。道路を洪水時に水路として使うためには、川の上手から、下手の海へと繋がるように道路を整備することや、脇道に土嚢(どのう)を作って、水を適切な所に誘導することも重要だ。ダムや新たな水路を造るよりもわずかな費用と期間で整備できよう。是非、検討してもらいたいと提言する。


ダムに貯まる土砂を取り除くという維持管理を国交省に求めたい

 ダムを造れば、下流には砂が流れてこないため、全国各地の砂浜がやせ細っている。ということは、土砂がダムに貯まっているということだ。ダムを造る際には、洪水調節容量、利水容量の他に堆砂容量を設定している。この堆砂した土砂を取り除くことができれば、それだけ、洪水調節容量が増えて洪水時、水を蓄えて、下流での洪水被害を減らすことができる。以前国土交通省の関係者に聞いたことがある。ダムに貯まる土砂を取り除いたらどうですかと。関係者いわく。費用がかかるから、それはできないと。しかし、筆者は主張したい。新たなダムを造るよりも、今あるダムを、費用をかけてでも大事に使って、土砂が貯まって、機能できなくなったダムから土砂を取り除き、生き返らせるのだ。そうすれば、自然破壊するダムの新設を抑えることができる。関係者の言は、自然破壊して新たなダムを造る方が安いと言いたいのだろうが、現在、自然の価値を経済的に計測しようという流れがアメリカから始まって、ヨーロッパでも日本でも広がりつつある。最低でも、(注)CVM(Contingent Valuation Method:仮想的市場評価法)で自然の価値を計測した後で、評価して欲しい。自然破壊して新たにダムを造り続け、既存のダムは土砂を取り除かず、土砂が貯まってダムとしての機能が落ちるまで使い続けるのが安いのか。新たなダムを造るのを抑え、できるだけ土砂の堆積を抑えながら長く使い続けるのが安いのかを。

土砂を取り除く作業は大変で、特に重機がダム湖から土砂を取り出す際に、細かい砂がこぼれ落ちて、下流に漁業被害を及ぼす。被害を及ぼさない何らかの工法を編み出して欲しい。入札額を上乗せして技術開発のアイデア提出を促し、もってダムを蘇らせて長く使い続けることが、自然保護のためにも、税金の無駄使いを防ぐためにも必要だ。

(注)CVMとは、無作為抽出のアンケートで、「あなたはここにダムを造る場合、どれ位補償してもらいたいですか」などと尋ねた結果を統計処理して、失われる自然の価値を経済的に評価しようというもの。


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